2006年12月15日 (金)

ニフティーの利用開始から10年

こんな内容のメールが今日届けられた。
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\ ┌──┴────────────────────┴──┐ /
\ │ @niftyを10年間ご利用いただきまして │ /
/ │ 誠にありがとうございます。 │ \
/ │ これからもどうぞよろしくお願いいたします。 │ \
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From @nifty スタッフ一同

拝啓 時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

弊社サービスを長年にわたりご愛顧いただき、誠にありがとうございます。
2006年12月15日は、・・・・様が@niftyにご入会されてから、ちょうど
10周年となります。

・・・・様、皆様のご支援をいただき、多くの方にお使いいただけるプロバイ
ダーにまで成長することができました。心よりお礼を申し上げます。

弊社は、今後も皆様にご満足いただけるよう努力してまいります、引き続き
ご支援くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
          敬具

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この10年,劇的に環境がかわりましたね。
パソコンを購入した後も,しばらくはインターネットには手を出さなかった。
怪しいサイトがたくさんあってパソコンに害悪を与える,ということを聞いて臆病になっていたからだが意を決してやり始めるとなんとも面白い世界が広がっていた。
しかし,当初,光通信やADSLのような高速通信どころかISDNすらない時代だった。電話回線の通信速度は極めて遅く,一つのページを見ることには多くの時間を要した。
画像のあるページを見ることは相当大変だった。
そのようなこともあって接続時間がかなり長くなってしまうが,定額サービスは無く,月の電話代が2万円程度になることもあった。

そんなこんながあっての10年。
更に10年たったとき
どのような世界が広がっているのか。

blog今日もいい日

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2006年12月14日 (木)

ノクターン集(巨匠の演奏)

なんとも言えない演奏である。右手の旋律の歌い方。左手による心の表現。ピアノってなんて凄い楽器なんだと思わされる。そして,この奏者,何者やねん!と感じざるを得ない。
アルトゥール・ルービンシュタイン(Artur Rubinstein)
ポーランド出身のピアニスト
1887年1月28日 - 1982年12月20日
彼が,70歳代に弾いたと思われる,ショパン作曲のノクターン集やワルツ集をときどき聴く。
本当に,何とも言えない演奏。
繰り出される曲の流れが,聴く者に有無をいわさない。
聴けば聴くほど恐ろしさすら感じさせる演奏。
その恐ろしさは,ある面,枯れたものの良さなのだろうと思う。
それだけに,はまりたくないという思いがある。
もっと,活気のあるやつ,ばーんと一発行こうぜ!なんておもうのだが,その魅力にとりつかれるとなかなか逃げおうせることは難しいのかもしれない。
彼の演奏を,最初に耳にしたのは,ベートーベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」だろう(指揮はバレンボイム)。まだ,私が中学生だったか高校生だった頃の出会い。
そのころは,私は,夜な夜な,ラジオの前にかぶりついて,番組で流されるクラシック音楽を一生懸命カセットテープで録音していた。
その中の1曲だった。
朗々とした演奏だった。今でも記憶している。
なお,彼が88歳のときの演奏だったとのこと。

朝比奈隆の指揮する演奏にも同じような印象があった。
何事にも動ぜず,劇的な中にも朗々と流れていく音楽。
何にも枉げられることのない音楽。
このような音楽は,余分なものをそぎ落とされた尽くした人しか,導くことがきっと無理なのだろう。
そう思わせるに至るには何年の鍛錬を必要とするのだろうか。
彼の演奏で,もう1つだけライブ演奏を聴けるとすればどの曲?と聞かれれば・・・
難しい選択だろうが,多分私は,チャイコフスキーの第5番のシンフォニーを選択するだろう。正直,彼の演奏を聴くまでは,この曲はあまり好きな曲ではなかった。
でも,それは,この曲が悪いからではなく,それまで聞いたいくつかの演奏が曲の魅力を引きだすことが出来なかったからに過ぎない。
彼の演奏を聴いたときはまさに衝撃的だった。たった1つのモチーフを結末に向けて,堂々と且つ朗々とそしてまがうことなくして進めていく有様,それも謳歌しながら。そんな音楽に接すると,感動以外をもって表現し得ない。

円熟の演奏で忘れられないものがもう一つある。
確か,車を運転しているときにラジオで流れてきたもので,ライブ演奏の録音だったように記憶している。曲の途中から聴いたので,演奏者が誰かは当初わからなかった。
曲は,ベートーベンのピアノソナタ「ワルトシュタイン」。
なんてみずみずしい演奏なんだ。なんて壮大に歌うんだ。
それまでワルトシュタインという曲,それほど好みの曲ではなかったが,一気に好きになってしまった。
この演奏家はきっと将来無茶苦茶大物になるだろうなんて,勝手に思いこんでしまった。
ピアニストの名はクラウディオ=アラウ。そのとき彼は80歳を超えていた。

芸術家という存在の凄さを感じざるを得なかった。

blog今日もいい日

2006年10月22日 (日)

ラ・トラビアータ(椿姫)(オペラの勧め)

私がオペラ(歌劇)にまともに興味を抱くようになったのは,一冊の本との出会いによる。
それは,
中丸三千繪著「マリア・カラス・コンクール スカラ座への道」(講談社・1995/10)
中丸さんは,1990年「マリア・カラス国際声楽コンクール」の優勝者。当該コンクールでのイタリア人以外の初めて優勝者とのことである。
それまでにもマリア=カラスという名こそは知っていたしその筋で最高の人と称されているということも知識としては知っていた。しかし,それまでオペラにも声楽にも殆ど興味の無かった私には,興味本位で手にした一冊でしかなかった。
しかし,面白く,興味深いものだった。
オペラというもののクラシック音楽の世界における位置づけ,声楽の奥深さを初めて,書物というものを通じてではあるが,ある程度理解できるようになった。
そして,人の生き方としてとてもとても参考になる本であった。
音楽家が書いた本で,これほどアグレッシブで且つワクワクさせてくれるものは,
小澤征爾著
「ボクの音楽武者修行」(新潮社文庫)
以来のものだった。
この2冊は,クラシック音楽に興味の無い方にも勧める書物である。
やってやれんことはないだろうという精神がものすごく素晴らしい。

その後,イズミホールで中丸さんのリサイタルを聴いたこと。
これが声楽に目(ではなく耳を)向ける決定的な出来事となった。
生のものに触れること
やはり最高!!

なのですが,ともかく一応のきっかけとなるものを。
YOU TUBEのものであり紹介するに気は引けるのだが,他にとっかかりとなるものを見つけることもなかなか難しいので敢えてご紹介(2006年10月20日 (金)「You Tube」投稿動画の大量削除)。
ベルディー作曲の歌劇「ラ・トラヴィアータ」(椿姫)より
こんな声を生で聴かされたら・・・・
と思わずにはいられません。
ストーリー等は「椿姫 (オペラ) - Wikipedia」をどうぞ。
とても切ない物語です。
ストーリーを想いながらお聴きいただければ雰囲気も伝わるでしょう。
ヴィオレッタ・バレリー役Angela Gheorghiu(アンジェラ・ゲオルギュー)
第1幕の乾杯の歌(けっこう有名でしょう)
なお,下記のAnna Netrebko版は現代的で且つ刺激的!(笑)
'Croce e delizia al cor'
Sempre Libera
Parigi, o cara

なお,歌姫が異なれば雰囲気も異なる。
1幕のラストについて
Beverly Sills(ビヴァリー・シルズ)
Mariella Devia(マリエッラ・デヴィーア)
Mary Dunleavy
Elizabeth Futral(エリザベス・フートラル)
もちろん演出が異なれば更に
現代的演出による乾杯の歌(かなり刺激的!!)
Anna Netrebko(アンナ・ネトレプコ.)
なお,3幕で歌われるAddio del passato
(さらば過ぎ去りし日よ)

とは,いいつつそれほど私も生の演奏を聴いているわけではない。
コンサートもそうだが,あまり接すると良いものに接してしまうと,いいものに対する感性が薄れてくることもありボチボチにしている(ということにしておきましょう・・・笑)
ボチボチ行きましょう。

自分の記事からひろってみたのを末尾に。

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追記)
関連するものを次々と聴いていくときりがないですね。
今日は,色々と聴いてそれで終わってしまうのかも(笑)

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2003年12月30日 (火)

映像の世紀

NHKでリバイバルをやっているシリーズである。
当初に放映されていた頃にもいくつか観た。それはついこの間のことだろうと思ったものの当初の放映は平成7年とのこと。イカに,時間があっという間に過ぎ去っていってしまっていることか。

それはさておき,今回は,ベトナム戦争がテーマであった。
謀略によるベトナム戦争への米国の介入や,戦争の惨さがテレビの前の人々の前にさらけ出される。
映像とはおそろしいものである。百聞は一見にしかず(しかし,映像が虚像を作ることもあるのでうのみには出来ないが)。

ベトナム戦争と言えば,私が・小中学生の頃の出来事で当時はほとんど何のことか判らなかった。それでも南ベトナムのユエ,ダナンやサイゴン(現在のホーチミン)の陥落は当時の報道で関心を持って観た記憶がある。
その後,高校か大学初期の頃だったと思うが,テレビの特集で,米国がベトナム戦争で用いた枯れ葉剤(高度のダイオキシンが用いられている)の影響と考えられる新生児の奇形の多発等が報じられていたのを観て,戦争の悪しき影響の凄さを痛く感じた事が思い出された。
私は,必ずしも反戦論者ではない。全ての戦争が否定されるものではなかろうとも思っている。しかし,戦争が悲惨であること,理不尽なものであることは疑いのないものであり,可能な限り無くし去られなければならない。
この日本にいると,特に強く感じる。

2003年10月18日 (土)

パバーヌ

今日は,説明会に呼ばれている。
さて,ちょいと挨拶しなければならないそうだが,何を喋ればよいのやら。まあ,電車に乗ってから考えるとしよう。

説明会にいく前に,仕事場に寄って何だかんだと。

周りには誰もいないので,PCで音楽を流しながら。

「亡き王女のためのパバーヌ」(ラベル作曲)が流れてきた。

高校時代のクラブ活動の想い出の1曲。
色々あったからなぁ。
あの時代は,今の自分にとって無くてはならない時代であったことは間違いない。
考え方の或いはものの見方の一大変革期?
でも,戻りたいかと言われれば・・・・


話は変わるが・・・3500を超えたね(3502)

2003年9月 7日 (日)

テレビ観戦

阪神vs横浜戦を途中からテレビだが観戦中。
見たとたん点を取り始め,オウオウオウの展開。

しかし,スタンドが凄いねえ!
こんな雰囲気の中でプレーをしている選手はやめられまへんでしょうなあ。この雰囲気は,日本の野球界随一でしょう!
選手冥利に尽きるとはこのことに違いない。

他方,横浜の選手は,見ていても気の毒・・・・
こんな異様な環境でやる野球って・・・・
きっと,ガラガラの試合よりつらいだろうね。

・・・でも,優勝決定までに,甲子園で勝ち試合に遭遇したかったと思う・・・
(球場にプロ野球の試合を観に行ったのは・・・俺が小学校のとき・・・・・・はるか遠い昔のことだ(笑))

2003年9月 6日 (土)

コンパクトカメラ

昔は写真嫌いであった。
撮られることなんぞもってのほかだった(なぜだかよくわからないが・・・・魂が盗られるとでも思ったのだろうか?・・w)
また,カメラのような高級品を自分で持つこともなかった。
だから,昔の写真はほとんどない。

だが,約15年ほど前にふとした機会にコンパクトカメラを買ってパシャパシャ撮るうちに結構はまってしまった。
手軽で持ち運べて,それなりの写真がとれるということは面白いこと。
画像は,一眼等に比してきれいとは言えないし,遠方の人物等などは写りがとても悪いことがあるが,手軽に持ち運べるということは何事にも代え難い(一眼を買いたい気持ちは強いが,不精者のオレにとって,持ち運ぶことを考えると億劫であり買っても自宅に寝たままになること請け合いである)。
富士カメラ,コニカ,ニコン等を経てここ数年は4機種目となるキャノンのIXY330を使っていた。
ちょいと重たいが,形状といい質感もよく,画像もそれなりにとれるので重宝していた。
今持っているものは2台目になる。
全く同じ機種を購入したのは,この機種だけである。
まあ,それだけ気に入っていたということの顕れかな。

ところがこのカメラも先日壊れてしまった。ショック!!

次ぎにどうするかを考えたが,キャノンのホームページを見ても330は無く,新しい後継機種も出ていないようだ。

今やデジタルカメラ全盛の時代。

デジタルカメラの便利さは十分にわかっているが,技術があまりにも日進月歩過ぎるし,画像を残していくという観点から考えるとどうにもなじめない。

発想の転換が必要なのか???

いずれにせよ手元にカメラが無いというのは。。。

2003年8月10日 (日)

登坂(枚岡公園)

今日は,下の子と電車に乗って枚岡公園に。
久々に,山登りをすると足がつらい(足が上がらないね)。
実家に住んでいたときは,坂登の毎日であったことからその当時は坂には慣れっこだったが,今やあきまへんは。
体がなまっておることを再認識。

2003年8月 7日 (木)

運転免許 その1

自動車の運転免許を取ったのは今から去ること何年前か(3回生のトキ・・・)

教習所の場所は,光悦という京都市の北のはずれのとんでもない場所。まあ,それでもそこなら大学から行けなくもないかという安易な気持ちでの選択。
しかし,大学に行きながら教習所にも行くのは楽ではなかった。

4月に申し込んで5月に入所。
1回目に行って,その次ぎに行ったのが。1ヶ月後。
その次ぎに行ったのは2週間後。
そもそも運動神経のないおれがこんなに間隔を開けてしまうと,まったく上達しない(当時はオートマ車などなくクラッチ操作が必要だった)。
毎回汗だく。
そんなことをしている間に夏休みに突入(当時は夏休み後にテストがあったため夏休み開始は早かった)。

教習所へ自宅から片道2時間半をかけて行く羽目に。

その年は8月20日から北海道1周旅行の予定があったところ(cf:日本1の写真),一部はレンタカーを借りて移動という構想があったこと(場合によっては俺も運転せよとのこと)から盆休み前までに免許を取得する必要があった。

何度かの補講を受けて,盆休み前にようやく卒検。

試験官曰く・・・・
本来なら通さない。
が,盆休み中に更に腕が鈍るだろうし,そうなれば卒業にはさらに相当時間を要するだろうから,まあ多めにみてやるわとのこと。
めでたく実技修了。

まあ,学科は,それほど苦労せず,旅行出発の前日に免許証を取得。
免許取得までの苦労話を聴いた,友達の深い考えにより,結局,北海道での俺の運転の出番はなかったね(笑)

運転免許 その2

3回生に運転免許をとったが,誰かがゼミ生の掲示板に書いていたが,俺の場合も,その後は単なる身分証明書

ただ,卒業後,プータロウの我が身にとって,運転免許証は,自分の身分を示す大事な証となった(笑)

無職者1年目に,青春18切符を使って,大阪から各駅停車を使って九州1周旅行を敢行した際,寝泊まりしていた駅で何度か職務質問を受けることとなった。その際にも,身分を証する書類として活躍した(どこの誰かを示す物無くして無職者が駅で寝泊まりしていると,ちょいと交番までなんてあったのかもしれない・・・笑)。

その後もたまにオヤジの車を借りて近所で練習する機会があったぐらいで車の運転には縁がなかった。

職業人になってゴルフというものに行くことになった際,当初は,先輩に同乗させてもらったり,ゴルフ場近くまで電車で行きそこからクラブバスにてということでしのいでいたが,ゴルフ場は,とんでもないところにあることが多くまた時間帯によってはクラブバスもないことも多く,どうしても自分で運転して辿り着かないといけなくなり,おやじの車を借りて運転することとなった。
今思えば,無謀そのもの。
滝の汗。
周りは見えていない,物音は聞こえていない。
よくぞ事故を起こさなかったものだ・・・・
能勢,吉川,姫路ひどいときには伊勢・・・・
今思い返しても,身の毛もよだつ世界(笑)・・・・・
年2~3回程度の機会だったので何とかなったのだろうが。

結婚後は,運転できないだの言ってられない。特に,子供が出来ると,荷物が増えるため,四の五の言ってられない。連れ合いが持っていた車を少しづつ運転せざるを得なくなってきた。
当初は,自車をもちそれなりに場数を踏んでいて(もっと言うと車がないと生活できないところに住んでいた)運転上手な連れ合いからは,とっても怖いといわれていた俺の運転もジョジョにはましに。
今では,まあ,人並みくらいにはなったかな(笑)。

2003年8月 3日 (日)

森林浴(枚岡公園と長居公園にて)

昼からちょいとだけ枚岡公園へ
森林内の空気はやはり違う。リフレッシュを呼び込む。
せみ,蝶,蜻蛉,蝸牛・・・イロイロ捕獲
そういえば家の鈴虫は脱皮をして白い羽がはえていたなぁ。
良い音で鳴くのは,もうすぐかも。

枚岡公園の後は長居公園にて,またまた熊蝉を山ほど捕獲。
そして長居公園を1周ジョギング。

高校時代は1年に1度ここで10キロマラソンと称する公式行事があったが,その場所が長居公園。
それまで一番長くても1500mしか走ったことがなく,10キロも走れるわけがないと,やむなく練習をした。
というのがチョイとでも長距離を走ることのきっかけとなったとはいえるだろうね。既に××年前の出来事だが(笑)。

その延長線上かな,今の職場でハーフマラソン参加(強制?)があり,5年前のフルマラソン参加へとつながり(かなりの歩きも含むが)・・・・
あれから,何もしていなかったが・・・
今年は!

2003年7月13日 (日)

手直し

久々に訪問者があったようなので
BBSを夏向けに手直し。

しかし,このBBSは機能的にあまり出来がいいとは言えない・・・他のところのを使いたいが・・・

全く知らないところを使うこともためらわれる(来訪者の個人情報の保護がどの程度なされるものかわからない)。
やむなく,大手プロバイダーならちょいとはましかと思ってこれを使っているが・・・
なんとか改善して欲しいものだ・・(苦笑)

写真は,かなり前に行った「黒四ダム」
そのときはその勇壮さと優美さに圧倒されただけであったが,最近,本(NHKプロジェクトX[ジュニア版]4巻)にて,このダムの建設のことを知った。
7年をかけて昭和38年に完成したということだが,壮絶な工事だったようだ。考えてみれば(俺の物心がついた頃でさえたいした自動車等は未だなかったが,それ以前の工事),線路や道路もない豪雪地帯のあんな山奥(ここ,標高1350m)に重機等の機材や資材を持ち込むことだけ考えただけでも想像を絶する。率直に,先人の偉業に敬意を表し,そして多くの人々のために亡くなられた方々には改めてご冥福をお祈りしたい。

2003年6月 7日 (土)

賀茂川べりでの飲み会

昨日は,学生と河川敷にて飲み会
オレの連れ合いも交えてニギニギワイワイと。

連れ合いに言わせると,昔の学生はもっと飲んだ思い出があるとか・・・・・
そういえばあの頃はいっきや駆けつけ3杯等なんだかんだと飲んだし,いきなり鴨川を裸足で渡るヤツもいた(ってオレのことか・・・川の水は冷たいし足の裏は切るし・・・やめといた方がいいが)。

但しあの頃はほぼ記憶が無い世界だった。

今のようにおとなしく飲んでいる方がゆっくりと楽しく飲めるということは間違いなく言えるが・・・

2003年5月15日 (木)

スターウォーズに関する思い出

あるところでスターウォーズネタがあったので関連して

私が最初に見たのはエピソード何とかやらではなく
それこそ第1作目だった。
高校生1年の時の夏だったか。
映画館内に広がる宇宙の世界。
当時のSFX技術の粋を集めた作品。
衝撃的だった。今でも鮮明に覚えている。
(とんでくる隕石の中にはジャガイモが紛れ込んでいるらしいが・・・いまだにどれか分からない)

もうひとつスターウォーズというと
高校の部活のブラスバンドでも曲をやった。
HighB♭があり,またなんやらよくうわからない楽譜で大変な曲だった・・・
私が吹いていたユーフォニウムには「レイア姫のテーマ」のソロが割り当てられていて見せ場があった!!・・・・・
ソロが始まる前には何小節かにわたる休止符があったのだが,数えている途中で分からなってしまった・・・(極度にリズム感の悪いオレにとっては休止符のカウントは苦手だった・・・)。

一瞬の空白

・・・どこから奏でればいいの?
冷や汗は出るわ,心の中はパニクルわ・・・

覚悟を決めて,ここだろうと思ってエイヤット!!
吹き出したところが,たまたま正解で事なきを得た・・・

何度何度も夢に出てくるいくつかのシーンがある。
この場面は,その一つ(冷汗)

2003年5月 3日 (土)

ばたばた

本日は,午後から北陸に出張。

打合せを終えた後は・・・当然に温泉にはいってゆっくりと・・・といいたかったところだが。
温泉街を横目に最終列車にて帰阪。

ゴールデンウイーク中の潮干狩り,茶摘み等を俺はキャンセルして仕事場に。ウイークデイは,電話や会議や委ねられることがあってなかなか自らの物事の処理が進まない。最近は,悪者が出没しておりその対処もある。
ちょいと,たまったものを片付けるには休みをつぶさなくてはならん。由々しき事態。

久々のチャリンコ。五月のにしてはちょいと暑いが,それでもゆるりゆるりと街の様子をうかがい御堂筋の人の流れにのって・・
近くでは「中之島まつり」が開催されている。今年は32回目とのこと。高校時代には,ブラスバンドにて中之島祭りで演奏したともあったっけと思い,自転車を押して,ちょいとだけだが雰囲気を味わうことができた。 ヨシとしよう。


おっと,1500を越えて1502ね・・・・

2002年10月22日 (火)

ふりかえれば・・・

今日から10年前の20代を終える日の夜は,北新地の今は無き飲み屋で独りバーボンを飲んだあと,淀屋橋の上の欄干で何を考えるともなしにぼんやりと淀川を眺めていた。日頃吸わないたばこをふかしながら日の変わりを迎えた。その瞬間何を考えていたのやら。
20代になるときは,何の想いもなかった。正確には,そのときも何かの思いをもっていたのだろうが全く記憶がない。どこにいてどのようにして迎えたのすらも覚えていない。
30代になるときには何だか見えない壁を越えるような感があった。何も出来ない,何もでき得ていない自分に不安があったような気がする。
あれから早10年。
足早の10年であったが思い起こせばそれなりに色々あった。仕事での色々な出来事,出会い。結婚,子供の成長。マラソンの完走。未来を背負う学生との出会い。その他色々な人との出会い。新しい世界の発見。色々な人に世話になった。
総じていうなればよき10年だったと言えるのでしょう。私にとって,その前の10年を考えれば特にそうかも知れない。
次の10年どんな10年か。実りのあるものにはしたいものだ。
いにしえの人がいうように惑わずか?やはり惑いばかりだろうか?

今日が終わろうとするときに何を考えるだろうか。10年前の自分が懐かしくもある。

また10年後を楽しみにしたい。

2002年10月14日 (月)

吹奏楽

意外かも知れないが,高校時代はブラスバンド部に属していた。
奏でていたといったら大げさだがその楽器はeuphonium(ユーフォニウム)という名であった。
形は,大型の金管楽器となるチューバという楽器の小形で(形は一緒だがそれよりかなり小さい),一般的にはメジャーではない。しかし,ブラスバンドにおいては旋律楽器(伴奏ではなく主に旋律を奏でる楽器)であり極めて重要な役割を担っていた。
なお,形が全く想像もつかない方は次のHPをご参照。。。。。
楽器は練習しないと音が出ない。
ユーホは比較的音の出しやすい楽器ではあったがそれでも今となってはまず音が出ないと思う。
それでもなお,時々は思い出したように吹いてみたいと思うことはある
(もはや苦労はいらないが・・笑・・・・いけないね)
もし,吹けるとしたら,ホルスト(組曲「惑星」の作曲によりがそれなりに有名な作曲家)作曲の組曲第1番や第2番は,是非とも吹いてみたい。旋律が美しく且つユーフォニウムがかっこいい曲である。
叶わぬ夢かも知れないが。
思いでの1ページか・・・・・・

    

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