2008年11月23日 (日)

中丸美繪著「オーケストラ、それは我なり」朝比奈隆四つの試練

楽譜の記事をアップしましたが、実は、この本を買いに行った際に目に入ったので楽譜を購入したというのが実情。
休みの間に、この本を読んでしまいたいと思っていた。

中丸美繪著
「オーケストラ、それは我なり」-朝比奈隆四つの試練
2008年9月 文藝春秋

大阪でクラシック音楽をある程度の期間趣味としていたとすれば,朝比奈隆という名は避けて通ることが出来ない。
私も,大フィル(大阪フィルハーモニー交響楽団)と朝比奈隆と言う名はかなり前から知っていた。
でも実際にそのコンビの演奏を聴いたのはそれほど古くからのことではない。
一度,友達の誘いで聞きに行ったことがあった。そのときはマーラーの9番のシンフォニーが取り上げられていた。マーラーブームが来る以前でもあり初めて聞く曲だった。曲がそもそもとっつきやすいものではなく,また演奏自体もよく分からないものであった。全く良い印象は残っていない。
その後大フィルどころかライブで聞きに行くことがなかった。
しかし何年後になるのか,
情報源は忘れてしまったが,ブルックナーの第8交響曲が演奏されるとの知らせに接した。
オーストリアの作曲家であるブルックナーは重厚なシンフォニーを幾つも作曲した人物であるが,我が国でも,朝比奈氏の努力により多少なりともその名が知られるようになったものの,かつてはほぼ無名に近い人物だったと思う。
私は,ラジオではあるが,かつてカラヤンがベルリンフィルを率いてザルツブルグ音楽祭にてブルックナーの8番を取り上げたものを聞いてからこの作曲家が好きになっていた。ブルックナーの8番は,彼が完成させた最後のシンフォニーであって,極めてスケールが大きくまた内容的にも充実していてブルックナーの代表作であるといえる(9番は未完)。
ブルックナーのそのような曲が演奏されるとあって,これは聞いておきたいと思いチケットを求めた(今思えば良くチケットが手に入ったものだ)。

演奏会当日
その日も世界のあちらこちらで数多くの音楽が奏でられていたであろうが,間違いなく,その夜奏でられた中で世界で一番素晴らしい音楽に接したときであった。
日本人の指揮者及び日本のオーケストラでこれほど凄まじい演奏が存在するとはは全く予想していなかった。
それ以後,朝比奈隆と大フィルのコンビの演奏を良く聴くようになった。

朝比奈氏の指揮による演奏がすべて良かったとは思えない。しかし,良いときはとんでもなく良い。それが魅力だった。
色々な曲があったが,やはりブルックナーの曲は秀逸だった。
なお,個人的に,朝比奈氏によってその曲の良さに気づかされた曲としてあげたいのが,既に触れたことがあったかも知れないが,チャイコフスキーの5番のシンフォニー。この演奏も忘れられないものであった。この曲は,何度聴いても好きになれなかった。そのような作品ではあったが,朝比奈氏が振るというので聞きに行った。そのときに初めて,この曲の良さを思い知らされた。最終楽章に向けて,朗々と歌いながらて進んでいく演奏。時間や音というものはこのように悠大に目の前を流れていくものなのか・・・・。そんな思いを持ったことは今でも忘れられない。朝比奈氏の,一番の十八番は,実はチャイコだったのかも・・・そんな気持ちも今だに持っている。つい先日,リッカルド=ムーティ指揮のウイーンフィル(日本公演)によるチャイコの5番がNHKで放送されていた。ウイーンフィルってどれほど上手なの・・・,そして,これほど燃えて演奏する団体だったの?なんて,とても感動しながら見ていたのだが,それでもなお朝比奈氏の指揮によるチャイ5を聞いたときの感動を超えるものではなかった。

中丸美繪さんの「オーケストラ,それは我なり」は,このように私に素晴らしい体験をさせた朝比奈氏及び彼のオーケストラとも言えた大フィルの生き様がまとめられた本である。何気なく音楽を聞かせていただく立場でしかない私だが,私がその時々に接した音楽は,このような艱難を経て私の目の前に現れていたのだということを考えると,涙なくして読むことは出来なかった。

人は自分の信念を貫くためにどこまでのことが出来るのか。
音楽に興味のない方でも,一つの大きな人間ドラマとして色々と感じ取ることの出来る作品だと思います。

朝比奈隆;1908年(明治41年)7月9日 - 2001年(平成13年)12月29日

「オーケストラ、それは我なりー朝比奈隆四つの試練」取材ノート・中丸美繪ブログ(著者御本人のサイト? 各書評が掲載されています)

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2007年2月20日 (火)

IDEA HACKS!(アイデアハック!)

「IDEA HACKS!(アイデアハック!) 今日すぐ役立つ仕事のコツと習慣」
(原尻淳一・小山龍介共著・東洋経済新報社・2006年7月)

色々なアイデアが詰められている。

影響を受けやすい私は
昨日,堺筋本町に用事があったついでに文具屋に行ってきた(笑)

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 名刺サイズのカード
 ポストイット
 小さなボールペン

(一つだけネタバレ) 
ポストイットや小さなボールペンはかつてから用いているのだが,名刺サイズのカードは盲点だった。
確かに,いざというときに書く紙が見あたらないということがある。このようなときのために,名刺入れに名刺サイズの(白紙の)カードを入れておくというのは実用的と思われる。
カード時代の今,多くのカードが氾濫していて,財布にカードを入れるとはみ出してしまう事となる。そんなことから,私は,あまり用いないカード類は,いつも用いる名刺入れ以外にもう一つを買い求めてあって,そこに入れている。この方法は,カード入れと比べると案外スペースをとらないので結構重宝している。

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名刺入れをこんな風には用いていたが,紙を入れておくという発想には及ばなかった。
早速,薄めのカードを買ってきて,名刺入れには勿論のこと,それ以外にも,定期入れと財布にも入れておいた。
これで,とっさのときの対応が可能となるのだろう。

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2007年2月19日 (月)

「とっておきのエピソード」@浅加怜香著

「とっておきのエピソード」(浅加怜香著,日本文学館,2007年1月1日)
いわゆるマイミクの浅加怜香さんが出された最初のエッセイ
本屋では売り切れているかもとのことだったので,アマゾンにて取り寄せ入手。

自らが著した書物が世に出るというのはどのような気持ちなのでしょうね。
私は,書物を出すなどという冒険は考えたことがないので(笑)とても新鮮に映ります。
ただ,名を冠した書物を出したことはないものの,(限られた人向けではありますが)人の目に触れる書き物の経験はあり,そんな際には執筆者として名が記載されてしまいます。そんなときには,正直,気恥ずかしいですね(笑)。また,あんなので良かったのだろうかと不安いっぱいでもありますね。多くの人の目に触れる活字というのは,一旦出してしまうと,出してしまった活字から逃げられなくなるものなので,私にとっては苦手な分野なのです(もっとも,苦手なのは,活字だけではないですが・・・笑)
そんな気持ちが私にはあるので,本を出される方というのは,どのような気持ちなのだろうと,よけいに思ってしまうのです。

著者自身のレビューによれば,
『レビュー 「へ~そうゆう考えもあるんだぁ~。」ちょっとした事なんだけど、知っていると得するようなエピソードが盛り込まれています。作者のとっておきのエピソードもおすすめ。』
とあります。
この本では,「恋愛について」,「私の考え」,「かたちのないもの」という大きなテーマのもと,それらにまつわる個々の色々な話題について,著者自身の経験や考え方が述べられています。
読んでいて,「なるほどね~。」と同感の箇所も多々見受けられます。
但し,人生の先輩の目からみると,「そりゃわからないではないけど,ホントにそんなんでいいのか?」と思える箇所もあります。なお,それは,私だから思うだけかもしれません。皆さんが,同じことを考えるかどうか・・・それは何とも言えません(笑)
それは,どんな箇所?なんてことは明かしません!(笑)
それは,読まれる方が自ら考えればよいことであり,また,著者が今後更に人生を歩んで行く中でひょっとしたら考え直すことがあって,将来出されるであろう新たなエッセイにおいてそのことが取り上げるかも知れないものでもありますから。
そんなことを,将来への楽しみとしたいですね(笑)

なお,浅加さんのブログ「怜香日記」

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「感動をつくれますか?」@久石譲著

「感動をつくれますか?」久石譲著,角川oneテーマ21,2006年8月
宮崎駿作品に用いられる曲(親しみやすい曲が多いですが,個人的には曲を含めて,やはり「風の谷のナウシカ」あたりが一番印象深いかな)など多くの作品を手がけておられる,今をときめく作曲家の1人といえる久石譲氏によるもの。
本屋で目について購入。
移動中に読んでみた。
やはりと思える部分,或いは,なるほどねえと思える部分。
言ってみれば,それほど突飛なことが書かれているわけではない。
それでも,人に感動を与える物事を創り出す或いは生み出す活動についての,プロフェッショナルな立場からの考え等は読んでいて興味深い。
責任をもって評価される仕事をし続けること。
単発なら不可能ではないかもしれないが,続けてということは想像を絶する世界だと思う。
そのようなことを成し遂げることの出来る方と,凡人の差は近いようではるかに遠い。

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2007年1月22日 (月)

「ガリア戦記」@ユリウス・カエサル著(岩波文庫)

塩野七生著「ローマ人の物語」(新潮文庫)
ハンニバルが破れカルタゴが滅亡してから暫く手に着かなかったのだが,また最近続きを読むに至っている。
(6)勝者の混迷(上)
(7)勝者の混迷(下)
(8)ユリウス・カエサル ルビコン以前(上)
(9)ユリウス・カエサル ルビコン以前(中)
(10)ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)
ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が登場し,(第1次)三頭政治を創出し,ガリアを平定し,次は,とうとう「賽は投げられた。」との言葉とともにルビコン川を渡る場面。
先に読書を進めたい気がする。
色々とブログで触れたい衝動に駆られる。
しかし,それを抑えて,ここでカエサルが著した「ガリア戦記」を読んでおきたいと思った。
多くの先人から絶賛されているというこの書はどのような本なのか。

今は「ガリア戦記」にチャレンジ中。
「ガリア戦記」
ユリウス・カエサル著(紀元前58~51年頃)
近山金治訳(翻訳1942年2月初版,1964年5月改版)

なお。
岩波文庫・・・・・・懐かしすぎ。
書店にて,この類の本を見ると,学生時代には興味の無かった古典の世界・先人の遺産に今こそ触れようかという気がしてきた。
次は,ヨーロッパ文明の基礎となるギリシャものにもチャレンジしたいねえ・・・・そして,日本の古典にも・・・・
そして,他方,最近のものにも・・・・

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2006年12月24日 (日)

小野明子さん凄いねえ・・・

Mostoly Classicの2007年2月号の「Live!産直一本釣り」に取り上げられていた「小野明子」さん(雑誌についているDVDにその演奏が紹介されている)。http://www.aspen.jp/artist/jp/akiko_ono.html
平成18年10月22日東京文化会館小ホールで行われたリサイタルから
ベートーベン(Ludwig van Beethoven)作曲「ヴァイオリンソナタ第8番から第1楽章」
ビゼー作曲/イェーネ・フバイ(Jenő Hubay:1858 - 1937)編曲「カルメン幻想曲」
ジュール・エミール・フレデリック・マスネ(Jules Emile Frédéric)作曲「タイスの瞑想曲」
が収録されている。
フバイという方は初めてお目にかかった人であるが,曲が始まる前に多分ヴァイオリンのヴィルトーゾだろうと想像は出来たがその通りだった。フバイは,ハンガリー人であり,高名なヴァイオリニストであるシゲティの師匠筋にあたるそうな。見るからに聴くからに難曲。それをさほど難曲に見せずに弾いてしまう小野さんの力量に驚かざるをえない。何事もなかったかのように,そして多彩な表情をもってして沈着症にそれでいて情熱的に演奏を展開している。思わず拍手をしたくなる演奏。今後どのような活躍をされるのか楽しみ!!

なお,余談として,タイスの瞑想曲について
この曲は,アナトール・フランスの同名の小説に基づいて作曲された,1894年初演の歌劇「タイス」の第2幕の第1場の終わりに演奏される「間奏曲」とのことだ。
なにをいうに耽美であり妖しくもありまた清廉或いは静謐さを感じさせる。
このオペラを観たことはないのだが,そのあらすじを調べたところでは,頽廃と享楽の世界にある娼婦タイスを改宗させ救いに導く修道士アタナエルが,最終的にはタリスの魅惑を忘れられずに堕落の道を歩むというものらしい。
この間奏曲は,タイスがアタナエルの導きで信仰の道に入ろうとする心の浄化をあらわしているとのことだ。
そのような場面をあらわす曲としては,これ以外には無いだろうと思わせるほどの名曲。
そんな曲だけにとても表現の難しい曲だと思う。
多分最高の表現場面は,心の葛藤を示す賑々しい場面を通り過ぎて,最初の旋律が再び現れる場所だろう。
ここをどのように感じて又感じさせるのか・・・
きっと奏者の人となり或いは人生観が反映される場面なのだろうと思う。

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2006年12月16日 (土)

モーツアルトの全作品の楽譜をオンラインで公開

Internationale Stiftung Mozarteum(ISM:国際モーツァルト財団)は,ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756 - 1791)の全作品のデジタル化した楽譜を,「NMA Online」(注:平成20年3月22日:次の挿入部分を読まれたし)で無料公開したとのこと(12月12日)。  
凄い!!!

2008年3月22日挿入・・・・・・・・・・・・・・・・
トップサイトへの接続が必要に変更されて、上記リンクはつながらなくなっているようです。
よって、次の記事を参考とされたし
2008年3月22日 (土)
モーツアルトの全作品の楽譜(NMA オンライン 新モーツァルト全集:デジタル版:日本語サイト)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

探せばジュピター等もありました。
ただ,ドイツ語だらけ・・・・
使い方が今ひとつよくわからない
やけに解説部分が長い・・・・
肝心の楽譜をみつけるにはかなり苦労します。

追記)
直リンク
ドイツ語がわからずとも(12月18日補足:右上の「english」をクリックすれば英語で表示されます・・・なお英語画面への直リンク
楽譜にたどり着く一番手っ取り早い方法は
「検索」を用いること
ケッヘル番号(KV番号)を入力して「go」を押すことがいいでしょうね。
例えば,「KV」の横の空欄に「488」と打ち込んで少し下の右端にある「go」を押せば,ピアノ協奏曲23番イ長調Kv488の楽譜が現れます。
お気に入りの作品のケッヘル番号は
モーツアルトの楽曲一覧(Wikipedia)をご参照下さい.
ジャンル別とケッヘル番号順の2種類で書かれてありますのでとても便利です。
なお,めぼしい作品はたいてい載っているようですが,全ての作品が網羅されているわけではないようです。

他によい方法があれば,ご教示下され(コメントに残していただければありがたや)

オペラの勧め

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2006年12月13日 (水)

月刊「ソトコト」にご登場の澤村翔子さん

 ロハスという言葉
 最近,よく目にしたり耳に聞いたりする。
 しかし,あまり深くは考えてこなかった。

 ロハス = LOHAS 「Lifestyles Of Health And Sustainability」とのこと。
goo辞書で調べるとsustainableは,「維持[継続]できる; (環境を破壊しないで資源開発が)継続できる」とある。
 月刊「ソトコト」は,「ロハスピープルのための快適生活マガジン」,「日本におけるスローフード、スローライフの先駆けとなった雑誌」ととそのウェブサイトにおいて紹介されている。

 雑誌の内容は,私の実際の生活とは,ほぼかけ離れたものであるが,それだけに興味深いものでもあった。スローフードなど,昼食時間などわずか数分の私からはほど遠いものかも知れない(笑)。本の中で取り上げられていた,ポピュリッチなる族?なんて,・・・・・(笑)
 ただ,ほど遠いものだからこそ強いあこがれの対象となるのかもしれない。 

 ちょいとスジは離れるが,消化に関して書かれたコラムがあった。消化とは,食べ物を吸収し易くする機械的作用より,もとの生物がもっていた情報を解体しそして自分の体内で自らに適合した形で情報を構成するための生物学的な意義のあることが指摘され,その上で,「コラーゲンを食べ物として沢山食べれば,肌の張りを取り戻すことができるか?」ということが説明されていた(「コラーゲンなんていらない」by福岡伸一氏)。
 なるほど,目からウロコ。
 
 このような雑誌に触れることになったのは,2007年1月号に登場されておられるマイミクの澤村翔子さん(メッゾプラノ)のお奨めがあったからである。オペラの「ズボン役」つまり少年役をされているとは初耳だったが(なお,ズボン役という言葉を初めて知った・・),澤村さんがmixiで残されている文章は,どちらかというと男前さを感じさせるものが多いので(熊本ご出身の故?),やはりそうなのかとも妙に納得でもある(笑)
 雑誌では,そんな彼女がレディーとして登場した,ある私邸での催しが取り上げられていた(LOHASクラシック音楽サロン)。
 ドイツのリート(歌曲)を歌ったようだ。オーディエンスとして参加された方々は,窓から目に飛び込む緑に酔い,歌に酔い,ワインに酔い,そして,いい女に酔ったようである。
 うらやましい限り。
 豊かな心を持った人々の前で歌うことができるというのは,きっと,歌い手にとっても至福の時なのだろう。

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2006年11月27日 (月)

「青空文庫」@利用に対価を求めないインターネット上の電子図書館

インターネットの電子図書館
「青空文庫」
次のように説明がなされている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
青空文庫へ、ようこそ!
青空文庫は、利用に対価を求めない、インターネット電子図書館です。
著作権の消滅した作品と、「自由に読んでもらってかまわない」とされたものを、テキストと XHTML(一部は HTML)形式でそろえています。
作品ファイルは、縦組みを意識した統一した形式でまとめてあります。
いろいろな方が開発してくれた青空文庫対応の表示ソフトを利用すれば、本のページをめくるように、作品を読んでいけます。
多くの人に、快適に作品を味わい、自由にファイルを使ってもらうことは、この場を整えている私たちの願いです。
どうか青空文庫を、活用してください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とのことである。
品揃えは,まだまだのようだが,これまで世に埋もれていた作品が,このような試みによって,時と場所を選ばないインターネットの性質から,多くの人の目に触れることとなり,更に世に広まることも考えられる。
そのような埋もれていた著作物に対して,現代の人によって新しく光があてられて,今までにないものに生まれ変わることだってあるのだろう。

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2006年10月24日 (火)

水商売

「なにわ商人1500年の知恵」藤本義一著・講談社α文庫・1994年8月
に載っている水商売に関する3つの見解
「水は高きより低きに流れる。つまり,お客様から店に金が流れてくるという意見。だからサービス第1に専念せよ。」
「水は方円の器に従う。つまり,水というものは,どのような形の器にも入るのだから,水商売の人は,いつでも客に逆らわずに笑顔で接すべきである。」
「ズバリ,水のようなものでも売れるから。」
いずれにせよ,客と接する際の心構えではあろう。
参考にしたいものである。

2006年10月22日 (日)

ラ・トラビアータ(椿姫)(オペラの勧め)

私がオペラ(歌劇)にまともに興味を抱くようになったのは,一冊の本との出会いによる。
それは,
中丸三千繪著「マリア・カラス・コンクール スカラ座への道」(講談社・1995/10)
中丸さんは,1990年「マリア・カラス国際声楽コンクール」の優勝者。当該コンクールでのイタリア人以外の初めて優勝者とのことである。
それまでにもマリア=カラスという名こそは知っていたしその筋で最高の人と称されているということも知識としては知っていた。しかし,それまでオペラにも声楽にも殆ど興味の無かった私には,興味本位で手にした一冊でしかなかった。
しかし,面白く,興味深いものだった。
オペラというもののクラシック音楽の世界における位置づけ,声楽の奥深さを初めて,書物というものを通じてではあるが,ある程度理解できるようになった。
そして,人の生き方としてとてもとても参考になる本であった。
音楽家が書いた本で,これほどアグレッシブで且つワクワクさせてくれるものは,
小澤征爾著
「ボクの音楽武者修行」(新潮社文庫)
以来のものだった。
この2冊は,クラシック音楽に興味の無い方にも勧める書物である。
やってやれんことはないだろうという精神がものすごく素晴らしい。

その後,イズミホールで中丸さんのリサイタルを聴いたこと。
これが声楽に目(ではなく耳を)向ける決定的な出来事となった。
生のものに触れること
やはり最高!!

なのですが,ともかく一応のきっかけとなるものを。
YOU TUBEのものであり紹介するに気は引けるのだが,他にとっかかりとなるものを見つけることもなかなか難しいので敢えてご紹介(2006年10月20日 (金)「You Tube」投稿動画の大量削除)。
ベルディー作曲の歌劇「ラ・トラヴィアータ」(椿姫)より
こんな声を生で聴かされたら・・・・
と思わずにはいられません。
ストーリー等は「椿姫 (オペラ) - Wikipedia」をどうぞ。
とても切ない物語です。
ストーリーを想いながらお聴きいただければ雰囲気も伝わるでしょう。
ヴィオレッタ・バレリー役Angela Gheorghiu(アンジェラ・ゲオルギュー)
第1幕の乾杯の歌(けっこう有名でしょう)
なお,下記のAnna Netrebko版は現代的で且つ刺激的!(笑)
'Croce e delizia al cor'
Sempre Libera
Parigi, o cara

なお,歌姫が異なれば雰囲気も異なる。
1幕のラストについて
Beverly Sills(ビヴァリー・シルズ)
Mariella Devia(マリエッラ・デヴィーア)
Mary Dunleavy
Elizabeth Futral(エリザベス・フートラル)
もちろん演出が異なれば更に
現代的演出による乾杯の歌(かなり刺激的!!)
Anna Netrebko(アンナ・ネトレプコ.)
なお,3幕で歌われるAddio del passato
(さらば過ぎ去りし日よ)

とは,いいつつそれほど私も生の演奏を聴いているわけではない。
コンサートもそうだが,あまり接すると良いものに接してしまうと,いいものに対する感性が薄れてくることもありボチボチにしている(ということにしておきましょう・・・笑)
ボチボチ行きましょう。

自分の記事からひろってみたのを末尾に。

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追記)
関連するものを次々と聴いていくときりがないですね。
今日は,色々と聴いてそれで終わってしまうのかも(笑)

続きを読む "ラ・トラビアータ(椿姫)(オペラの勧め)" »

2006年10月21日 (土)

ハンニバル

心理サスペンスの映画の登場人物ではない(笑)
ローマによって滅ぼされた現在のチュニジアあたりを中心としたカルタゴという国の名将
この名前を初めて知ったのは,小学生の頃にナポレオンの伝記を読んだ際,ナポレオンに先だって(象を伴って)アルプス越えを行ってイタリアに攻め入った人物としてだった。
そのときに抱いたイメージは,半裸の男達が頭にターバンを巻いて象に乗ってアルプスから駆け下りていくという単なる無謀者でしかない全くのバーバリアンそのもの。大昔には,とんでもないヤツらがいたもんだという程度のものでしかなかった。
その後,世界史にてカンネーの戦いやザマの戦いというものと同時に記憶の対象となった程度。但し,単なるバーバリアンではなく相当な実力者であったというイメージには至っていた。
このほど塩野七生著になる「ローマ人の物語」(文庫版・新潮文庫)にチャレンジしているのだが,その3巻から5巻は「ハンニバル戦記」(上・中・下)となる。
この合計3巻においては,ローマとカルタゴの間で争われた3回の戦争(ポエニ戦争:第1次紀元前264~241年,第2次紀元前218~201年,第3次紀元前149~146年)が主に取り上げられている。
ハンニバルが活躍したのは第2次ポエニ戦争。
ハンニバルは,情報収集力に長けたとんでもない知将であり且つ強靱な精神力の持ち主だったようだ。当初抱いていた単なるバーバリアンとはほど遠い存在。そのような人物であったからこそローマをあと一息というところまで追いつめることが出来たのだろう。
しかし,それでもローマは耐えてそして打ち勝ち覇者となった。その柔軟さと懐の深さががローマのローマたる由縁だったようだが,そのような性質がスピキオ等の名将を産み,そしてその後のローマの繁栄にもつながったようだ。
スペインからフランスを通ってアルプスを越えてイタリアに攻め入り,あと一息まで迫っていたハンニバル。しかしながら,圧倒的勝利にもかかわらずローマ同盟国のローマからの離反を導くことが出来なかった。それだけローマは,周辺諸国から信頼されていた国であったということのようだ。ハンニバルは,次第に追いつめられて,最後には祖国で敗北にいたる。祖国を降伏に導いたあと,最後の最後には亡命先で自殺という最期を遂げることとなる。
古代の国々の有様をふり返って,今の国際問題を見ると,異なっている部分だけでなく似通っている部分も多く見ることが出来る。
人はいつまで経っても人でしかないようだ。

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2006年10月12日 (木)

「明治・大正・昭和前期 雑誌記事索引データベース」(皓星社)

「明治・大正・昭和前期 雑誌記事索引データベース」(皓星社)(テスト版?)

明治・大正・昭和前期に刊行された雑誌にて掲載された記事が検索できます。現在376243件の記事が登録されています。

とのこと。

皓星社データベース

検索をかけてみると,役に立ちそうなものが引っかかってきます。
但し,正直あまり実態がよくわかりません。
今後どのようになっていくのか?

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インターネット情報選択的蓄積事業(WARP)(国立国会図書館)

インターネット情報選択的蓄積事業(WARP)

インターネット上のウェブサイトや電子雑誌を収集し文化資産として保存するプロジェクトです。
とのこと。

インターネットで公開されている次のような機関が保有する情報が蓄積されている
コレクション種別
 国の機関・都道府県・合併前の市町村・法人・機構・大学・イベント・ 電子雑誌・その他
NDL資源タイプ
 電子雑誌・サイト

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電子図書館(国立国会図書館)

貴重書画像データベース

国立国会図書館が所蔵する重要文化財、彩色資料等の画像データ(872タイトル、約41,000コマ)を検索、閲覧することができます。
とのことです。

近代デジタルライブラリー
当館所蔵の明治期刊行図書を収録した画像データベースです。平成18年4月現在、約127,000冊を収録しています。収録されている資料は、児童図書と欧文図書を除いたもののうち、著作権保護期間が満了したもの、著作権者の許諾を得たもの及び文化庁長官の裁定を受けたものです。
とのこと
明治時代の本を参考に見ることがたまにある。しかし,このような本を探すことは至難の業でありまた見つけ出してもそれを手にとることは容易なことではない。それを思うと,明治期の多くの書物をインターネット上で閲覧できるということはとても有り難いことです。


過去の関連記事
2005年8月28日 (日) 明治時代の法律書(国立国会図書館)動産売買の先取特権
2005年8月25日 (木) 凄すぎる!国立国会図書館のウェブサイト
2005年3月23日 (水) 公文書のネット上での閲覧(国立国会図書館)

2006年9月27日 (水)

句集「源八」

或る大手広告代理店の関係者等からなる句会(源八句会)の50会を記念してだされた句集。
そのメンバーの方からいただいた。
私には,このような風流な趣味はないのだが,このような成果に触れると,いいねえって思ってしまう。
世界で一番短い詩の世界
日々を思いながら,同時に日々を忘れて
感性を磨く

ますます,いいねえ。

だが,
私は,どこでいつ感性ヲ磨いているのだろうか
と考えると

・・・・・・・・

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2006年9月15日 (金)

「ローマ人への20の質問」塩野七生著

「ローマ人への20の質問」塩野七生著・文芸新書・平成12年1月

ヨーロッパ文明の基礎となるギリシアとローマの文化の基本的な違い等が判りやすく説かれ,それが現代を理解する指標ともなっている。
極めて興味深き本。
ギリシアの文明やローマの文明。ちょいとかじったようで全く判っていない。
しかし,現代ある制度や文化の基礎等は,これら時代に由来するものが少なくない。
よって,是が非でも理解をしておかなければならない時代といえる。

中から1つ
ローマ人(庶民)の春と秋の1日
未だ星の瞬く5時頃に起床。日の出と共に仕事を開始(元老院関係者等はクライアントとの対応もこの時間からだそうで,その後に公務を8~9時頃から開始)。正午か1時頃に仕事を終了。軽い昼食後,午後2時頃から公衆浴場。その後,自由に時間を過ごして,日没と共に就寝。

なんと合理的な生活パターン。
そんな生活を送りたい・・・・・・

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2006年9月13日 (水)

「幸福写真」@荒木経惟

「幸福写真」荒木経惟・ポプラ社・2006年5月

幸福なひとときの写真
いいですね。
こんな場面に出会いたいし
こんな写真を撮ってみたいね。

でも,
写真というのは
雄弁だね。

それ以上に
表情が
雄弁なのだろうけどね。

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追記)9月18日
荒木氏の奥様は16年前に亡くなっておられるのですね・・・・・・・
「幸福」を題する写真集。
年月が必要だったわけですね。

2006年8月 6日 (日)

「私的ブランド論」(ルイ・ヴィトンと出会って)秦郷次郎著

「私的ブランド論」(ルイ・ヴィトンと出会って)秦郷次郎著・日経ビジネス人文庫・2006年5月

 本書は2003年12月に日本経済新聞社より刊行した同名書に加筆・修正したものとあり,帯には「ルイ・ヴィトンジャパンの創業社長が語るリアル・ブランドストーリー」と書かれてある。
 ブランド戦略の一つのありかた。興味深く読むことが出来た。ものの一つの売り出し方。
 特に,前半部分をよんでいる時には,ブランドものにほぼ縁のない私でさえ,思わずルイヴィトンのグッズが欲しくなってしまった(笑)。但し,後半部分になるにつれて,やはり要らないかという気持ちに戻ってしまったのだが。
 身の回りにあるルイ・ヴィトンのグッズといえば,職場の女性が結婚する際にくれた名刺入れ,そして嫁さんが結婚前からもっているバッグ。いずれもモノグラム。
 しっかりした出来であり丈夫で使いやすいことは確か。長い目で見れば良い商品であることは間違いない。職人芸とデザイン性を両立させたもの。こんなグッズは,好きですね。
 ただ,どうみても,これ見よがしにヴィトンで着飾っているとしか思えない人達が少なくないことを思うと,やはりもつには気が進まない。持っても小物止まり。
 
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『組織行動の「まずい!!」学」(どうして失敗が繰り返されるのか』樋口晴彦著

『組織行動の「まずい!!」学」(どうして失敗が繰り返されるのか』樋口晴彦著・祥伝社新書・2006年7月

「規則やマニュアルを無用に増加させるとかえって現場の規範意識を後退させる危険性があることに注意が必要である。」と書かれ,更に「リスク管理の関係者の間では『ISOを取得した企業でおかしな事故がよく起こる」と密かにささやかれている。」との指摘がなされている。
 作らなければならないだけのために作られるマニュアル等が多く,そのようなマニュアル等は,微に入り細を穿つようものが多い。それは色々場面を想定しかつその際に実用的なわかりやすいものであれば問題はないが,単に,いざというときの責任逃れのためのものとしか考えられないようなものも存在する。そんなマニュアル等が意味もなく行動を縛ることになる例は,実際に少なくはない。
 私も,作られたマニュアル等を目にする機会がある。そのときにはこのように聞くことが多い。「この内容を知っている人がどれだけいるの?」,「そしてこの内容は実現が可能なの?」と。
 また同書では,集団においてはひかる意見があっても意思決定が非合理な方向に歪められてしまう現象があり「グループシンク」と呼ばれていることが指摘されている。このような問題を防ぐには「けなし役」を必ず参加させることが適当であることは参考になった。
 なお,この本にはいくつかの具体的な例が挙げられている。しかし,壁があるようだ。「私は,本書の執筆のため様々な事例を調査するたびに,意味のある情報がごくわずかしか公開されてない現状を痛感した」。正しくそのとおりであると思われる。

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2006年8月 3日 (木)

地名の世界地図@21世紀研究会編

「地名の世界地図」21世紀研究会編・文藝新書・平成12年

世界の地名についての由来がわかりやすく説明されている。
アジア
インドシナ
ユーラシア
等々
そうだったのかと「目から鱗がおちる」ものが多くためになった。

 しかし,普段耳慣れている国名等が英語表記されたものが多いことに気づかされる。
 例えば,国際舞台で我が国のことを「ジャパン」と表現されることがある。しかし,「ジャパン」という表記は我が国の誰かが用いた表現方法ではなく,国外のものが勝手につけた名前に過ぎない。こんなものを喜んで用いているなんて,なんて馬鹿げたこと・・・・・とかねてから思っていた。
 アルファベットを用いた表記は已むを得ないとしても,出来るうる限り,現地が用いている表現に近い表記をすべきだと改めて思わされた・・・・・・(そうなると,この国どこやねんという国が増えて,私自身も困るのだろうが・・・笑)

 かつて,どうしてもウイーンという町を観たくてオーストリアに赴いた。そのときは,関西からウイーンへの直行便が無く,ヒースロー(ロンドン)経由だった。ヒースローからウイーンに向かう際,係官から「どこに行くのか?」との質問があった(それぐらいの英語はなんとか理解できた・・・・・・汗)。当然のごとく「ウイーン」といった。しかし,通じない。
ヴイーン・・・・等々述べたがわかってもらえない。
暫くして,係官曰く,
「ヴィエナ?」・・・・
思わず,イエス・イエスと応じた。

(笑)

地名ぐらい,世界共通であって欲しい。

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2006年7月22日 (土)

Mostly Classic

新聞は(いわゆる)反動?産経新聞を購読している。
社の考え方が出る部分については,どうかと思う部分があるが
他社に比較すると,全般的には読みやすいこともあることから続けている。
(自宅で日経を読みたいとまでは思わないし,朝日の社説など読みたいとは全く思わないし・・・・・・)

産経新聞社が発行しているクラシック音楽専門誌(月刊)に
「Mostly Classic」がある。
創刊の頃は無料で配られていたものであるが,内容を充実化させるために有料化になったと記憶している。
有料化になった以後も気にはなっていたが,雑誌等あまり読まない質なので,「勿体ない」と思って購読をしていなかった。
今般,新聞購読者は半額(500円)になるとのことで嫁さんが試しに買ってみたとのこと。
6月13日に亡くなられた指揮者岩城宏之氏の特集記事が掲載されていることも1つの理由。
読んでみるとかなり充実した内容。
来月以降も購読を続けてみる気になった。

特集を見て岩城氏のアグレッシブな活動を再認識。
元気づけられる。
負けていられないね。
と思わすにはいられない。

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2006年7月17日 (月)

イスラームの世界地図@21世紀研究会編

「イスラームの世界地図」21世紀研究会編(文藝新書)2002年1月

ここ数年イスラム教について耳にする機会が増えた。
しかし,イスラム教については,かなり漠然とした知識があるだけで
殆ど何も知らないに近い。
それではすまされんだろう,ということで手にした1冊。

歴史的背景をふまえながら,
イスラムの教えが結構わかりやすく解説されてある。

そういえば,イスラム教,その根は,キリスト教やユダヤ教と同じもの。
同じ根から出たものが,争いのネタになっている。
神がこの世を創造したのだとしても,
人が神を創造したのだとしても
理不尽。

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2006年6月 3日 (土)

「稼ぐが勝ち」(ゼロから100億,ボクのやり方)@堀江貴文著

「稼ぐが勝ち」(ゼロから100億,ボクのやり方)堀江貴文著・知恵の森文庫・2005年9月

色々な面で話題になった方の本である。
上記は,「稼ぐが勝ち」(2004年)に書下ろし原稿「その後の『稼ぐが勝ち』」を加えて文庫化したものとのことである。
今頃,読んでいるの?と思われるかもしれない。
しかし,一時代もてはやされたものの現在は苦境にある著者が,かつてどのようなことを言っていたのか,興味が湧いて購入に至った。

内容は,私が思うところでは,至極真っ当なことが書かれているとの印象を抱いた。
一般の方々が有している幻影,新しいものに対する無理解等を端的に指摘し,自らの体験等を交えて自由主義の経済的側面であるといえる資本主義の原則に従った考え方が示されている。

ビジネスに関して
色々な項目が挙げられているが,それらの殆どのものに共感が出来る。
それ以外にも,「お金を借りることが出来ない人はビジネスを始めるべきではない。」,「信用は大事だが信用してはいけない」(信用しつつ万が一に備える),「会議の目的は結論を出すこと。」等随所に示唆に富む意見が示されている。

今だからこそ,冷静な目でこの著作物に接することは,現状及び次代を見極める上で必要なことではないかとさえ思える。

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「漢文の素養(誰が日本文化をつくったのか?)」@加藤徹著

「漢文の素養(誰が日本文化をつくったのか?)」加藤徹著・光文社新書・2006年2月

漢文を通じて
日本における文化の担い手
日本と中国等東アジア諸国との歴史的な関係等
興味深い内容が述べられている。
特に,中国からの政治的影響ならびに,日本の歴史的な自立性について理解を深める材料となった。
日本というのは,かなり昔から(遣唐使を廃止してから),対中国の関係で独立国家としての体裁を保ち続けていたこと及びそれは東アジアにおける中国の圧倒的存在感を考えると極めて特異なことであった等結構目から鱗が・・・・という内容が含まれている。
室町幕府の第3代将軍足利義満が行った「勘合貿易」は朝貢貿易であり,次の将軍は,それを引き継がなかったことは知っていたが,第3代将軍と第4代将軍との間には親子間の確執があり,そのことが強く影響しているのであろうと思いこんでいたが,そうではなく,第3代将軍の時代に行われた中国への隷従が,日本のその当時までの歴史を考えると極めて特異だったものであることの再認識が出来た。
政治・文化を考える際には,色々なアプローチがあることを思い知らされる。

 なお,私には,漢文の素養は無い。
 ただ,大学入試の共通試験で出された漢文の問題。問題文に書かれている「漢文」を全く読まずして(というより読めなかった),回答欄の選択枝のみを眺めて解答し,全問正解となったことに驚いたこと,この記憶だけが鮮明に残っている(苦笑)。

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2006年5月20日 (土)

「アメリカ・インディアンの書物より賢い言葉」エリコ・ロウ著

「アメリカ・インディアンの書物より賢い言葉」エリコ・ロウ著・扶桑社文庫・2001年

自然と共に生きてきた人達が伝える言葉
深くそして重みがある。

何年か前に買ってきたもので,ときどき目にしようと思わせる本なのだが,なかなか前に進まない。
最終ページにたどり着くのはいつになるやら。
そんな本。

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「貧乏クジ世代(この時代に生まれて損をした!?)」香山リカ著

「貧乏クジ世代(この時代に生まれて損をした!?)」香山リカ著・PHP新書・2006年

「これまで良かった。この先はもう良いことがない。」との喪失感?を抱く世代。

今までの価値観が何が良いのか?また,先が見えにくいこの時代ならではの感覚或いは感性なのか。
わかるような気もするし,わかりたくもない。
せっかく生きているんだから,それを充実させて行きたいものだ!
と思いたいのだが(笑)


「ガイアの夜明け(終わりなき挑戦)」テレビ東京報道局編

日経スペシャル「ガイアの夜明け(終わりなき挑戦)」(書き下ろし)テレビ東京報道局編・日経ビジネス人文庫・2005年

新たな路を模索しチャレンジしている方々の話に接することはエネルギーになる。
しかし,他面,そこまでせにゃならんのか?とも考えさせられる(笑)

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「地名で読む京の町(上[洛中・洛西・洛外編]・下[洛東・洛北・洛南編)」森谷尅久著

「地名で読む京の町(上[洛中・洛西・洛外編]・下[洛東・洛北・洛南編)」森谷尅久著・PHP新書・2003年

京の町の成り立ち及び京の町名の由来等が詳しく説明されている。
京の町に興味のある人にとっては興味深く且つ便利な書。

目から鱗の話。
同書からの引用

「京都の地図を広げ,中心街に目をやると,町の形が山鉾町とその他の町では違うことに気づかれるだろう。その違いは何かというと,山鉾町は,道路で囲まれた町の形が正方形であるのに対し,それ以外の町は細長い短冊型をしていることである。」(上巻106~107頁)

京都の地図を見てみれば,確かにその通りである。京都の地図をみる機会は時々あったが,上記の形状の点に気が付いたのは初めてだった。
いつもぼんやりとしか見ていなかったことを思い知らされる。
町の発展の歴史は,色々なところに痕跡を残す。その典型的な例。
知らぬこと,気づかぬこと。
多すぎる(笑)

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「弁護士の仕事術・論理術」矢部正秋著

「弁護士の仕事術・論理術」矢部正秋著・成美文庫・2005年

 弁護士という職業を通じて培われた物事の見方・考え方,人の理解の仕方・接し方等が述べられている。
 抽象論ではなく体験等に基づく記載がなされており,非常にわかりやすく且つなるほどと思わされる面が多々ある。
 お薦めの一冊である。

「わかったつもり(読解力がつかない本当の原因)」西林克彦著

「わかったつもり(読解力がつかない本当の原因)」西林克彦著・光文社新書・2005年

文章を読んでいて「わかったつもり」になることは多い。その盲点の発生等について「スキーマ」或いは「文脈」等の関与等について指摘がなされている。
「わかったつもり」でも別にかまわないときと,それではトテモ困るときとがある。
「わかったつもり」がどんなときに或いは何故発生するのかを理解しておくことは,本を読んだり,人の意見を聴いたりする際には大事なこと。

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2006年5月17日 (水)

「ウェブ進化論(本当の大変はこれから始まる)」梅田望夫著

「ウェブ進化論」本当の大変はこれから始まる/梅田望夫著・ちくま新書・2006年

 知の世界の再編を目する「グーグル/google」や「ロングテール」,「Web2.0」(こちらの世界・あちらの世界)等興味深い事項が取り上げられていた。
 今後,PC及びインターネット上ではどのような発展或いは進展が見込まれるのかについて非常に参考となった。

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「99.9%は仮説(思いこみで判断しないための考え方)」竹内薫著

「99.9%は仮説」思いこみで判断しないための考え方/竹内薫著・光文社新書・2006年

科学等の世界では100%確実な考え方はまず存在せず,仮説に過ぎないことが示されている。
つまり,現時点において「絶対」と思われているものであっても「絶対」のものでないことが示されている。

「冥王星」が「惑星」でないかもしれないという話は興味深いものだった。そもそも「惑星」というものが曖昧な定義によってなりたっているとのこと。今後,冥王星以外にも同程度の大きさの惑星がぞろぞろと他にも見つかるかも知れないし,反対に冥王星が「惑星」から「小惑星」に格下げになるかも知れないとのことのようだ。仮に,格下げになった場合に困るのは「占星術師」なのだろうか?
 かつて,占星術師に関する次のような記載を目にしたことがあった。
 「ノストラダムス(1503年-1566年)等の昔の大予言者は,冥王星(1930年発見)や海王星(1846年発見)が未だ発見されていなかった時代に予言をしていたのに,その予言がみごとに的中をしていたのは何故ですか?」との趣旨の問いに対して,「昔の予言者はだから偉大なんですよ。」等の趣旨の答えだったように記憶している。
・・・・・・・

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2006年3月 7日 (火)

ヴァイオリニストの音楽案内(クラシック名曲50選)@高嶋ちさ子著

 「ヴァイオリニストの音楽案内(クラシック名曲50選)」高嶋ちさ子著・PHP新書368・2005年10月
 ヴァイオリニストで面白可笑しくそして見目麗しい高嶋ちさ子さんが書かれたクラシック音楽のお薦めの書。
 曲の紹介が,彼女の経験を交えて,平易で且つ面白くなされている。読んでみると,はたしてどんな曲なのだろう?!と興味をそそられる。聴いてみたくなる!
 このような本で紹介される曲というのは幸せなのかも知れない(笑)
 この本において,「なぜ誰も弾かないの?」と紹介されている曲がある。それは,ブルッフ作曲の「スコットランド幻想曲」。その名は聴いたことがあったものの,曲を耳にしたことはなかった。
 この本に紹介されているCDを早速買い求めて聴いた。確かに美しい曲。知らなければもったいないという曲。このような曲と出会えたのはこの本のおかげである。
 この本に紹介されている演奏に徐々に触れていきたいものだと考えている。
 なお,この本に紹介されていることから触発されて,久々に聴いたものがショルティー指揮によるワーグナー作曲の前奏曲等の作品。
 演奏を行っているシカゴ交響楽団は金管楽器の鳴り方が半端でない。この響きでワーグナーをやられたらたまらない。それだけでなく,弦が中心となる楽劇「トリスタンとイゾルデ」の「前奏曲」と「愛の死」の官能美も怖ろしい。ショルティーという指揮者はただものではない。
 名演ばかりの作品群の中でも一押しは,歌劇「タンホイザーの序曲。なんと言ってもシンプルに格好いい!
 昔々(笑),自らの結婚披露宴の入場に際する音楽を考えに考えていた頃。
 最後まで候補に挙がっていたのが,ショルティー指揮のシカゴ交響楽団によるこのタンホイザー序曲のエンディング。テーマが再び小さな音から始まって徐々に盛り上がっていき最後にトロンボーンで一気にとどめ!という流れは言うこと無し。これに勝る劇的なものは考えがたい。
 でも,落選となった。もの凄くかっこ良いのだが・・・・ちょいと長すぎる。会場の入口から席まで会場をぐるぐると何周か回っても曲が終わらない(笑)(因みに,会場は大阪万博公園内の迎賓館)。残念でした。
 色々考えたあげく,それなりにメジャーだが,披露宴の入場ではまず用いられないだろう曲に落ち着いた。短調の曲。だが,とても美しい。
 ドボルザール作曲:スラブ舞曲第10番作品72の2(オーケストラ版)。
 高嶋さんの本には,ご自身の披露宴の際の話もちりばめられている。そのことでかつてのことを思い出した(笑)。

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2006年1月31日 (火)

日本を創った12人(前編・後編)堺屋太一著

日本を創った12人(前編・後編)堺屋太一著/PHP新書/1997年6月
 この本においては次の12人が取り上げられている。
 聖徳太子
 光源氏
 源頼朝
 織田信長
 石田三成
 徳川家康
 石田梅岩
 大久保利通
 渋沢栄一
 マッカーサー
 池田勇人
 松下幸之助
 堺屋氏の独自の観点から,現代の日本の有り様と各人との関係が説き明かされている。現代の日本を考えるに興味深い指摘がなされている。
 そのなかから一つ。
 石田三成についての指摘に最も大きな感銘を受けた。
 石田三成は,豊臣政権で実務的には要職を占めたがそれほどの大大名の地位にあったわけではない。生まれが高貴というものでもなく華々しい経歴をもつわけでもない。更には,関ヶ原の戦いの頃には奉行の地位を追われ全く権限のない立場にあった。
 関ヶ原の戦いは石田三成の演出によるものであることは公知の事実である。上記のような背景しかないような立場の者でさえ,日本史における極めて大きな出来事である関ヶ原の合戦という舞台を創り出すことに成功したということは,考えてみれば驚くべきことである。
 我が国にはこのようなことが出来うる或いはそれを許す素地があるということ。
 日本にこのような体質があることが,大阪で開催された歴史的一大イベントである万国博覧会につながったとの堺屋氏の回想。
 おもしろいものである。

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「医師としてできることできなかったこと」(川の見える病院から)杉谷亮太著

「医師としてできることできなかったこと」(川の見える病院から)細谷亮太著/講談社+α文庫/2003年6月
 1995年3月に岩崎書店より刊行された「川の見える病院から−がんとたたかう子どもたちと」の文庫化版
 小児科医である著者は小児がんのと向き合ってこられた方。人の生命に対峙するということ,特に患者が小さい子どもである場合のこと,この本から考えさせられることは多い。
 子どもが回復の見込みが無くそして痛みに苦しんでいる場面をみて,自らであればどのように振る舞うことが出来るかを考えると,それは想像を絶するといわざるを得ない。そのような場面に直面すれば正気でいられないかも知れない。
 私を含めた普通の人であれば逃げ出したくなる場面,それに正面から向き合っていく立場(職業等)の方々がいるということは心強いことであり有り難いことでもある。
 医療を含め人と接することに,決められた型はないことを改めて感じさせられる。その人に応じた対応というものがあり,それを一律に論じることにはあまり意味があるようには感じられない。
以下,同著から
 「医療っていうのは,何をやられているのか,きちんとわかっていないとけっこうおそろしいものだ」,「ある程度の知識はだれにでも必要だけど,やってもらうのはプロに限る」 
 「医学部の卒業を前に,『小児科医になろうと思う』と私が言うと,内科医の父は『やめておいたほうがいいんじゃないか。小児科を選んだりすると,あとで食うのにも困るぞ』と半分おどかし,半分からかいながらアドバイスしてくれました。」
 「昔から日本では,小さな子どもたちをあつかう小児科医の技術は全く評価されていません。大泣きをしている赤ちゃんの細い細い血管から採血し,そこから点滴をほんのわずかづつ入れた場合でも,筋骨たくましい大人の太い血管からおなじことをした場合でも,技術料に差はないのです。私たちの場合は子ども相手のこまかい仕事ですから,時間がかかってとても数をこなせません。それに加えて使う薬剤も,体重,身長で決まりますから,当然,ほんの少量ということになります。そんなこんなで小児科医が単位時間内にかせげるお金は,内科医や外科医とは比べものにならないくらいすくないのです。」
 数年前に書かれたものだが,今でも基本的には変わっていないだろう。
 子を持つ親にとって小児科は非常に重要な診療科である。例えば,内科等の医師に子どもの診察を依頼しても,子どもに対する投薬内容等がわからない等のことで子どもに対する診察が行われないケースがある(実体験)。小児については成人と異なる種々の配慮が必要であることを考えると,一定程度理解せざるを得ない。しかしながら,子どもはいつどのようなときに病気にかかるか全く予想がつかない。いざというときに頼れる医師がいないことはとても不幸なことである。
 小児科医の減少が深刻な問題となっている。
 このたび厚生労働省は,小児科の診療報酬について改善するとしているが,それだけでよい方に向かうのだろうか。他にも,改善を要する点は多々あるように思う。

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2006年1月 7日 (土)

「ダ・ヴィンチの暗号99の謎」福知怜著

 「ダ・ヴィンチの暗号99の謎」福知怜著(二見文庫,2005年7月出版)
 レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」の修復の話から始まり,ダ・ヴィンチの置かれていた境遇,シオン修道会,テンプル騎士団,薔薇十字団,フリーメーソンやレンヌ=ル=シャトーの事件,キリスト教の異説,イエス=キリストの遺骨や子孫にまつわる話等がちりばめられている。
 取り上げられている内容は,我が国ではあまり身近な話題ではないと思えるし且つかならずしも取っつきやすいものではない。
 しかし,ほんまかいな?ほんとやったら凄いね!とか,なるほど等色々思わされる点はある。
 例えば,「イエス=キリストの遺骨」,といわれてもキリスト教に深い知識のない私にはピンと来ない。しかし,本書によって,「イエス=キリストの遺骨」が見つかることの重大性が理解できた。但し,仮に,イエス=キリストの遺骨なるものを発見したという者が現れたとしても,どのようにその真偽を判断するのか?という疑問は残るが。
 本書に記載されている話の真偽のほどは私には全く判らない。しかし,ヨーロッパではこのような類の話が取り上げられているのだという点について,新鮮な出会いとなった。
 
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2005年12月31日 (土)

ラブアンドフリー(「LOVE&FREE」世界の路上に落ちていた言葉)@高橋歩著

「LOVE&FREE(世界の路上に落ちていた言葉)」高橋歩著・サンクチュアリ出版・2001年3月
著者が結婚を機に約1年8ヶ月をかけて2人で世界中を駆けめぐった折りの記録。その地で感じたままの言葉が記されていてとても新鮮。到底まねは出来ないだろうが刺激は多い。

この著者の行動には到底及ばないが,今になって当時をふり返れば,我ながらと思える旅行はあった。

 学生時代(3回生時代),周遊券をもって丸1日半フェリーに乗って友人2人と北海道に。札幌,阿寒湖,摩周湖,旭川,層雲峡,稚内,サロマ湖,網走,釧路等を巡った。特に,軽装にて大雪山系の黒岳(1984m)に登ったことは忘れられない思い出だった。その後,札幌で友達と別れ,札幌の友人宅で数日お世話になり,その後は,函館に行き,夕日の見える青函連絡船に乗り,青森から急行で一路東京へ。狭く眠れない列車だった。東京で,従兄の家に泊まり込み,その後は,静岡県御殿場でのゼミの合宿に参加。一旦東京に戻り東京見学をしてから各駅停車で大阪に戻ってきた。それまで,家族旅行や学校の行事でしか旅行をしたことがなかった者にとって新鮮な機会だった。

 2年後,新潟のある駅で寝ていたときに蚊が多くて大変だったという話を弟から聞いて,そんな旅行も面白そうだと思い,一念発起。桜島を観に行くことに。青春18切符を買ってリュック一つをかついでの4泊5日間の各駅停車の旅。大阪を発って,新下関駅,都城駅,熊本駅で一夜を過ごす。都城駅の待合室で寝ていると,夜間2度も警察官による職務質問を受けて辟易した。熊本を発つまでには,岡山城,原爆ドーム・広島城,大分市内,宮崎市内,鹿児島,熊本城・水前寺公園等を楽しんだ。なお,目的とした桜島は近づいてきている台風の影響による雲がかかっていてその勇姿を観ることあたわず。但し,その頃鹿児島市内は降灰が凄く,なれない者にとっては息の出来ない世界だった。駅の構外に出ることは殆ど不可能だった。このような生活状態があることは行って初めて経験できたことだった。福岡に近づいたとき台風に襲われた。かなりの時間を電車内で過ごした。福岡では大濠公園等を散策。情報では,もう一つ台風が近づいているとのこと。また,先の台風と同じようなコースを辿っているとのこと。そのため,できるだけ九州を離れた方がよいとのことで,再度,電車に飛び乗り行き着いたのが山口県徳山駅。この駅では,駅のホームに泊めてもらうことかなわず。また,外の待合室に泊めてもらうことすらもかなわなかった。治安が悪いとのこと。数日前にも近くで殺人があったとのこと。待合室が閉まるまでに,トイレに消えていくお姉さん方。特攻服に変身して戻ってくる。待合室の閉まる時間となり,駅前のバス停のベンチで寝ることに。深夜,駅前のロータリーには数え切れない改造車と単車が終結し,ロータリーを旋回している。凄まじい数の暴走族のたまり場だった。ベンチの横を徒歩で何人もの暴走族のアンちゃん達が通り過ぎていく。横を通り過ぎていくときには何やら喋っていたが,一切係わらず。生きた心地がしなかった。あたりが白む頃には,殆どの車は消え去った。命拾いした。それから大阪までの記憶は殆ど無い。

 研修中の27歳。夏休みを利用してのヨーロッパ。急にウイーンが観たくなった。語学はあかんが行くしかない。夏休みが始まる2週間程度前から急遽準備。情報誌を読んで,ユーレイルパスと時刻表を買って大まかな日程をたて飛行機(日本→ロンドン→ウイーン,チューリヒ→ロンドン→日本)のチケットと1泊目のロンドンの宿のみを日本で予約(当時ウイーンへの直行がなかった)。あとの宿は現地調達。日本を発って約12時間後にヒースローに到着。事前の話では,ヒースローからホテルまでのバスが出ているとのことだったが見つからない。ホテルに電話を架けてみたが何をしゃべっているのかよくわからない。呆然とバス停あたりで時間を費やす。日暮れも近くなるにつれて後悔の念が深まる。途方に暮れている私を見かねた他のホテル行きのバスが,次ぎにまわってきたときに目的のホテルまで送ってあげるとのこと(その程度の英語はなんとか理解できた)。嬉しさと,多少の安堵感。余裕が出来てあたりを見回すと,何度かみかけていた小さなバスが気になった。やはりそのバスが目的のバスだった。中近東系の客の多い何とも言えないホテルだった。2日目からは,めぼしいB&Bを尋ねて宿泊(なお,情報誌に載っているような所は全て満室)。ロンドンで数日。ひたすら街中を歩く。国会議事堂,ロンドン塔,大英博物館等。セントマーティンインザフィールズ教会ではオルガンを楽しんだ。日本では味わったことの無いような濃厚なビールをバーで購入。あちらのビールは常温。それをテムズ川河畔でいただいた。この時の風の感触は今でも忘れられない。小さな飛行機でウイーンへ。空から観るパッチワークの世界。不思議な風景。空港にてホテルを予約。値段の安いホテルはとれず。ウイーン市街へタクシーで移動。運転手のアンちゃんが英語で話しかけてくれるが所々わかる程度。初日は,アラブ系の人が経営している怪しげなホテルだった(高かった)。宿泊に際しては,パスポートを預かるとのこと。断ることも出来ず不安な一夜を過ごす。中近東あたりでコピーが流布していないことを祈る。翌日からウエストバーンホフ(西駅)付近の安宿へ。それまでドイツ語は全く知らなかったが,ドイツ語圏に何日かいるといくつかの言葉は身に付いた。語学は,やはり現地に行くに限るのだろう。ウイーンでの約5日間かなり歩いた。リンク内は殆ど歩いた。シュテファン大聖堂,ベルデベーレ宮殿(ここでクリムトの作品に初めて遭遇し衝撃を受けた),シェーンブルン宮殿,ベートーベンハウス,自然史博物館(ここも衝撃的であった,美術館とはこういうものかと),中央墓地,ハイリゲンシュタット,いくつかのコンサート(念のためスーツと革靴も持参していた)等々。ミハエル教会のオルガンは美しくまろやかな音色だった。シュテファン大聖堂の大オルガンは凄まじい響きだった。歌劇場内を見ることが出来なかった。残念。日本人と思わしき人に声をかけて,情報をいただいた。野菜のあるところ等。マーケットで買ったシュニッツェルは旨かった。シュテファン大聖堂の地下には,当時でウイーンで音楽を勉強している方(女性)と一緒に行った。女性1人では行けないところとのこと。確かに,大量の骸骨がありとてもおっかないところだった。下の名前だけ聞いていたが,今やその名前も忘れてしまったが今頃どこでどうしているのやら。ウイーンは凄い街だった。日本でもっていた事前の印象はヨーロッパの小国。しかし,それは現在のことであり,行ってみて,極めて長らくの間ハプスブルグ家の帝国の中心地だったことが実感できた。ウイーンは,また是非とも訪れたい街。ウイーンからザルツブルグ方面に向かう列車。乗車ホームと降車ホームが異なることがわからなかった。待てども来ない列車・・・。ザルツブルグへの途上ブルックナーに縁のあるリンツにて一泊。英単語も使えない街だった。旅行中,殆どの食事は屋台で済ませていたが,ここでは「サンキュー」というと皆に笑われた。宿泊先のガストホフでは,身振りで鍵の開け閉め等を教わった。シャワーすらないところだった。なお,旅行中一度もバスタブにお目にかかることはなかった。殆どが共同のシャワー。シャワーすらないところも数カ所あった。翌日,目前に近づいてくるザルツブルグの街。ビューティフル。3日ほどを過ごす。モーツアルトの生家等を観て街中をくまなく歩く。市街地は,1日も歩けばたいていわかってしまう。大聖堂では,オルガンの練習風景を見学。日も落ち夕闇が迫る頃,門が閉じられることとなったが最後の1人となるまでへばりついていた。最後に出ようとしたとき,門番の方が,一旦門は閉めるが最後まで聴いていなさいとの身振り。ありがたい。席に戻り響きを堪能。オルガン練習が終わると電気が消されて奏者はいずこかへと。残された巨大な空間は,無数のロウソクの明かりと私の靴音のみ。しばらく,幽玄の世界を1人で味わう。ロウソクにゆらめく巨大な空間・静寂。十分に満喫した後に,いずこへか消えていた門番を捜し出して,鍵を開けてもらう。門番に御礼とは思ったが受け取らない。ドームへ寄付してほしい旨を示すとようやく受け取っていただけた。その気持ちも嬉しかった。ザルツブルグ音楽祭が開催されている頃だったがそれほどのお金もなく演奏会へ行く機会はなかったが,大聖堂の前に巨大なスピーカーが出されショルティ=VPOによるベートーベンの第9が流された。途中雨の振る中,寒さに凍えながらも聴きとおした。別の日には足を伸ばして湖を越え山岳列車に乗り山上へも行ったが今となってはどこだったのか名前すら思い出せない。オーストリアを後にしてドイツへ。ノイシュバンシュタイン城(フッセン駅との往復かなり歩いた記憶がある),ミュンヘン(ビールは美味しかった・第2次大戦後に再建された街であることを知りその執念に驚かされた),フライブルグ(留学中の知人に会うため),ケルン大聖堂(よくこんなものが作れたものだと思います),ボンのベートーベンの生家等を巡ってスイスのルツェルンに。光が映える美しい街,しかし物価は高かった。チューリヒの空港からロンドンのヒースローに向かい,そして日本へ。18日間だったが,今でも思い出深い旅だった。ドイツ語圏は大きい人が多く,小柄な私などは子供同然で,ドアを開けているとサンキューボーイ等と言われたこともあった。また,詐欺師とゲームをした(しばらくはお手並みを拝見し,大金を巻き上げられる前に退散)。夏のヨーロッパは花の街。至る所で美しい花を見ることが出来た。日本とはかなり情景が異なる。日本では古都でも昔の建て間のはわずかであるが,ヨーロッパは街その物が昔ながらの威容を今に留めている。文化・価値観の相違を思う。ただし,無理矢理の変化を起こしながらも新しいものに邁進する日本の活力の一端をも垣間見ることはでき得た。他にも,思い出せばきりがない。語学が出来ず,勝手もわからない場所に行くことには不安があったが,当時は独身時代。何かあっても迷惑をかける範囲は限られているという思いもあり,エイヤ!の行動ではあったのだが。
 いくつかの行動を通して,思い切ってやれば何とかなるものだとの考え深まった。

 結婚して子供が出来て以後は,さすがにこの種の無謀なことが出来なくなった。それはそれで良いと思わなければならないのだろうが。
 でも,心に正直な何らかの冒険は楽しみたい。

2005年の最後にあたり,思い出と自戒と将来への更なる希望をもって。

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2005年11月 1日 (火)

「仏像は語る 何のために作られたのか」,「京都 格別な寺」宮元健次著

 「東大寺造立供養記」には,平家により焼かれた東大寺を鎌倉時代に再興した俊乗房重源が,東大寺の再建のための材木を求めて周防国を訪れた時の既述があることが指摘されている。重源が訪れた時期は,壇ノ浦の合戦の翌年であったとのことである(宮元健次著「仏像は語る 何のために作られたのか」(光文社新書2005年9月))。
 「源平合戦の時,周防国,地を払って損亡す。ゆえに夫は妻を売り,妻は子を売る。あるいは逃亡し,あるいは死去す。数ふる者を知らず,わずかに残るところの百姓,あるいは存し,あるいは滅ぶ。ここに上人着岸の時,国中の飢人雲のごとく集まる。上人悲心を発し,船中の米をもって,ことごとく施行せしむ。かくの如き施行たびたびに及ぶ」。
 本年は,NHKの大河ドラマで源平合戦が取り上げられていたようであるが,上記のような点は取り上げられていなかったであろう。
 合戦がうち続く時代。末法の世が現実であった時代。この点の理解が無ければ,当時の人の考えや行動は理解できないだろう。
 人の歴史は,多面的に見る必要がある。当然のことを再認識させられる。
 なお,東大寺は,それが創建された時も天変地異がうち続く非常事態であった。そのようなときに行われた国家事業。いかなる思いが重なったものであるのか。

 宮元氏の著作には上記の書以前に「京都 格別な寺」(光文社新書2005年8月)に触れたところであったが,両著作によって,日本の歴史について新たな考察の視点を与えられた。
 日本の国宝の殆どは,仏像や寺院等仏教に係わるものであろう。仏教は,今までの歴史及び現在の日本の生活に大きな影響を与えるものであることは疑いがない。しかしながら,私は,仏教というもの(考え方)について,殆ど無知である。日本及び日本人を知るためには,仏教の少なくとも概要だけでも理解することは不可欠なことと感ずる昨今である。それにより,過去の人の行動を理解し且つ現在の人のなすすべを理解することにもつながると感じられる。

 あとがきによれば,著者の宮元氏は闘病生活の中で上記著作を上梓されたとのことだ。病に打ち勝っていただき,ご快復されることを心からお祈りする次第である。そして,更なる著作を世に残されんことを切に望む次第である。

2005年9月19日 (月)

決断力(羽生善治著)

今日は5時に目が覚めてしまった。
先日久しぶりに買ってきた本を読むこととした。
羽生 善治 「決断力」
 角川oneテーマ21

なかなか趣のある本である。
そうなのか。
やはりそうだね。
へえ。
リアクションは色々とある。
じっくりと読んでいきたい。

今日も,人のまばらな時間帯に心斎橋筋を自転車で。
いつもは人で沢山の場所を,スイスイと過ぎることは,やはり爽快。

2004年11月13日 (土)

コンシェルジュ

土曜日は子供の送迎の関係で街中で1時間?1時間半程の時間をつぶさなければならないことがある。
そのようなときには街中をうろついたり,本を読むことにしている。但し,それほど時間があるわけではないので,本についてはできるだけざっと読めるものを。

「私はコンシェルジュ」阿部佳著(講談社2001年)
著者は,ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルのヘッドコンシェルジュ。
コンシェルジュという職業がありそのような方々がいるホテルがあることは知っているが,実際に利用したことはない。
どのようなことを実際に行っているのか興味が湧き,買ってみた。
お客のためにかなり広範囲のことをこなす必要がある職種であることがわかる。「20年ほど前に米国で知り合った鈴木さんを捜して。」,「和金(金魚の一種)をタイに持ち帰りたい。」等の要望にも応じるべくチャレンジとのこと(いずれも要望に応じ得たとのこと・・・素晴らしい)。
コンシェルジュ。ヨーロッパではかなり地位の高い職業だとのこと。私も,「僕の今の気分にぴったりの店は?」なんて訊ねてみたいものだ。
ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル。行き得るだろうか(笑)

しばらくはスタバで読んでいたが,気分を変えて街中で壁にもたれて読書。
待ち合わせの人も多い。
じっと待っている人。ウロウロする人。頻繁に携帯電話をチェックする人。様々。
思い起こせば,待たせたことも,待たされたこともあったものだ。
その頃は携帯電話がなく,ただひたすら待ち続け又は待たせ続けるしかなかった。
その間,お互い何を考えていたのやら。
携帯電話のある今。
待つときの想いはそのような時代と
一緒なのか,違うのか。

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2004年9月 7日 (火)

記帳(『裏帳簿のススメ』岡本吏郎著)

 『裏帳簿のススメ』(岡本吏郎著・発行アスコム)という本を読んでいる。勿論,脱税を進める本ではなく,決算書及び日本の税制の欠陥について触れられているものである。
 私も申告の関係で決算書を作成するが,確かに納税のために作成されるものであり,必ずしも1年間の損益及び基準時現在の状況を正確に反映するものではないことは良く理解できる。
 また,調査等の対象として会社の状況を見るときに,決算書に記載されている内容をそのまま見て評価すべきものでないことも理解できる。上記本に記載されているゾンビ(決算書に資産として計上されているものの実体としては全く資産性のないもの)は多い。
 それはさておくとして,最近お金の減りが早いように感じる(笑)。ただ,自らがどのような使い方をしているのかは,きっちりと記録していないのでわからなかった。正確に言うと,業務関連費は記録するものの,それ以外の出費については記録をとらないため(まあ家計簿をつけていない限り普通のことだとは思うが),トータルの出費がわからなかった。
 上記の本の影響もあり,今月になって,出費について明細をつけてみている。いつまで続くかはともかく。
 9月になって1週間も経たないのに,既に,何だかんだと8万4000円を超えている・・・・これには,クレジットカード利用分及び通帳からの自動引き落とし分は含まれていない。
 別にため込むことが趣味でもなく,ある時には使えばいいやという考え方ではあるが,このままの状態では破綻に至ることは必至か・・・・
 かなり考え直す必要あり(笑・・・・・)

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2004年8月12日 (木)

岩倉使節団

 日本という国及び国民は自主性のないダメな存在だと,学生の頃は,思っていた。
 その後,幕末から明治維新の頃のことが記された書物に接するようになり(主には故司馬遼太郎氏の著作物),日本人或いは日本という国は捨てたものではないと思うようになった。
 この頃の人の生き様をみると元気づけられる。
 やらねばならぬと思わされる。
 この時代の先見の明が,今の日本の大きな足がかりとなっていることは明らかだ。

 岩倉具視を団長とする使節団がヨーロッパ訪問を行ったことは,教科書の記載で知っていたが,ふ?んという程度で,特に印象に残る事ではなかった。
 この度,「岩倉使節団という冒険」(泉三郎著・文芸新書・文芸春秋社)という書物を読む機会を得た。よく考えれば,未だ国の行く末が定まらない時期に,岩倉具視,大久保利通,木戸孝允らという重鎮が日本の国を離れるということだけでも大それた事である。日数も632日にも及ぶ(但し,大久保及び木戸は,6ヶ月前に帰国の途についている)。使節団の総勢は48名で他に60名近くの留学生が随行(中江兆民,金子賢太郎,団琢磨,津田梅子[当時8歳・・・6歳?や7歳?と紹介しているものもある])
 訪問先は,アメリカ,イギリス,フランス,ベルギー,オランダ,ドイツ,ロシア,デンマーク,スウェーデン,イタリア,オーストリア,スイスでありその間多くの都市や村落を訪れている(合計120になるようである)。
 勿論,物見遊山ではない。政事・経済・産業・教育・芸術・宗教・娯楽等様々なものについて見聞を深めている。
 この意欲,行動力,尋常でない。

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2004年8月 7日 (土)

「日本はなぜ敗れるのか」敗因21カ条

 新聞の書評をみて書店で購入したもので(角川Oneテーマ21,2004年3月,角川書店),1991年に亡くなった山本七平氏の作品(初出:角川書店刊「野生時代」1975年4月号?)である。
 この本は,故小松真一氏が,先の大戦時に捕虜(PW)になっていた際に書き留められた戦争体験を綴る日記(「虜人日記」1974年1月私家版にて出版,1975年筑摩書房)及びその書物に記された「敗因21ヵ条」に基づいて,作者(山本氏)の体験を交えて,記されたものである。
 戦争の生々しい体験が記されている。外からうかがい知れない現地の惨状と現場を全く前提としない非現実的な中央と考えや対応との乖離。命を無駄に奪われた人々の無念を思う。
 戦地へ兵士を運ばれることが繰り返されていたが,その実情は,
無防備な廃船同然の貨物船に多数の兵士が詰め込まれていただけで,その大半は現地に着くこともなく沈められ。それが貨物船団が壊滅するまで無為に継続されていたとか(例え,到着しても現地には兵器も食糧もない)。
 戦地で何よりも危険だったのは友軍であったとか・・・・・お互いに殺し合って食すると言うことが,大々的に行われていたようだ。
 大岡昇平氏の『野火』にも,猿の肉と称された人肉を食する場面が記されていたが,現地では,そんな生やさしいものではなかったようだ。
 なお,山本氏の指摘によれば,日本における負け戦の惨状は,明治期の「西南戦争」の西郷軍に既に現れていたとのことである。何かと英雄視される西郷氏ではあるが,その敗残軍の様子は,連合赤軍の有様とかわらず,内輪同士の殺戮等を惹き起こしたに他ならない。
 戦争(特に負け戦)の実際をしておくことは大事なことだと思う。私自身は,戦争の絶対的否定者というわけではないが,何も考えない戦争は絶対に許されるものでないことは言うまでもないことである。
 しかし,思うに,戦争の場合だけでは無かろう。色々な点においても,物事を予想し,それへの対処を予め考えておくことは。特に,重要なことを行う際は,尚更。
 自ら反省するべき点も多い。

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2004年7月18日 (日)

読書

ボーっとする時間。ほぼ,1日読書。

京都陰の権力者達
 読売新聞京都総局
京都に蠢く懲りない面々
 湯浅俊彦・一ノ宮美成・グループK21
関西に蠢く懲りない面々
 一ノ宮美成・グループK21
いずれも講談社+α文庫

15~10年ほど前に出されたものの復刻版的なものである。
この種の類の本の性質としてどの程度信用できるかという問題はある。それはともかくとして,その時代を過ごして来た1人として,自らに見えていなかった世界を興味深く楽しんだ。
世の中には,色々ある。
鵜呑みにしてはいけないが,ありうる社会だということは,色々な意味で理解をしておかなければならない。

しかし,心に余裕の無い本ばかりを読んでいる。自戒。

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2004年5月16日 (日)

ケータイ「メモ撮り」

久々に,本を読む気になり,新書を3冊購入。
その1冊が,山田雅夫著『ケータイ「メモ撮り」発想法』<光文社新書>
携帯電話の写真機能は,私もそれなりに利用していたが,かなり徹底した利用について書かれていた。
要点は,メモ感覚で何でも写真として残す。例えば,名刺や新聞記事やそれこそ目につくもの何でも。
確かに,手書きで残すより簡便。
手書きのメモの場合には,すぐにペンが見つからないとか(私の場合,サトラップとして携帯ボールペンをつけているからこの点はあまり問題がない,見栄えは良くないが,かなり便利)書いた紙がどこかに行ってしまうとかの問題点があるが,このような問題点は回避できる。
読んでいてなるほどと思わされたので,最寄りの店で,携帯電話のメモリーを買ってしまった。いつもの衝動に駆られた行動。今後どこまで使いこなせるのやら。

家に戻ると,ついでに携帯電話の機能のチェック。携帯電話の取扱説明書を探し出してきて読もうとするが,分厚すぎて全部を読むことは到底無理。また,多機能すぎて使いこなせない(覚えることも不可能)。しかし,いくつかの点では役に立つ発見があった。
 さらに,最近携帯電話への情報の蓄積が著しいので,(前にも触れたが,紛失時のことも考えて)再度セキュリティーについても検討を加えた。ちょいとは安心できるようになったかも。

手軽に使える携帯電話だが,使いこなすのはそれほど手軽ではない(笑)

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2004年2月24日 (火)

最近読んだ本について『本当は怖ろしい万葉集(歌が告発する血塗られた古代史)』

『本当は怖ろしい万葉集(歌が告発する血塗られた古代史)』(小林惠子著,祥伝社,2003年)
万葉集は秀歌を集めたものではなく,暗黒の史実が秘められた極めて政治的な内容のものであり,それは,古代朝鮮語による裏の読み方により導き出されるとされるものである。
万葉集は,漢字(万葉仮名)で記載されているところ,必ずしも日本語による読み方も解明されていないようである。
それはさておき,当時は大陸からの渡来人も多く,その子孫等は,歌を詠むに際して,日本語の意味だけでなく古代朝鮮語読みでも意味を持たせたとのことである。
私には,万葉仮名も皆目検討がつかないが,古代朝鮮語に至っては全く理解不能である。よって,本書に記載された内容の真実性については全く不明である。しかしながら,内容的にはかなり興味深いものである。朝鮮半島等のつながりや,当時の正史には現れていない情勢が忍ばれる。

日本の正史といわれる日本書紀や古事記等は史実をかなり違えて記載している可能性が高いと思われ,藤原氏に都合のよい歴史書とされているようである。
例えば,イメージでは,物部氏は朝廷をないがしろにした悪い一族であるが,同氏は,現在の朝廷に先立つ大和地方の支配者であったようだし[三輪山はその象徴],また,蘇我氏も朝廷をないがしろにしたために誅されたイメージが強いが,実は,当時の日本の情勢は,かなり朝鮮半島の政治情勢が反映させられていたところ,新羅派(蘇我氏)と百済派(中大兄皇子)の争いの抗争がいわゆる大化の改新といわれている暗殺劇にすぎないようである(中大兄皇子側が暗殺にて新羅派から主導権を奪おうとしたにすぎない事件)。この両派の対立は,後の,中大兄皇子[天智天皇]と大海皇子[天武天皇]の争いもその延長線上にすぎないようである(両者は,兄弟ではないという考え方も有力のようである,兄弟とされているのは藤原氏の都合によるようである・・・)

まあ,古代史は,学校で習ったほど単純なものではなく,結構,色々な観点を考慮しないといけないようで,興味の湧く点が多いと共に,歴史の改竄ということをも考えさせられる。
歴史。色々な面で,正しく人間の営みであることが面白い。

最近読んだ本について『バカの壁』,『情報検索のスキル(未知の問題をどう解くか)』,『昭和史7つの謎』,『異形の将軍(田中角栄の生涯)上・下』

『バカの壁』(養老孟司著,新潮新書,2003年)
いわずと知れた大ベストセラー。読んでいる人も多いはずなので内容については,立ち入らないが,その中で「万物は流転する」との指摘があり,「人間は寝ている間も含めて成長なり老化なりをしているのですから,変化し続けています。」「昨日の寝る前の私と起きた後の私は明らかに別人です。」という下りがあった。
 丁度そのころ,

『情報検索のスキル(未知の問題をどう解くか)』(三輪眞木子著,中公新書,2003年)

を読んでいて,認知科学の立場では,受け手である人間を主体にとらえ「情報」を「メッセージの受けたの知識に変化を及ぼすモノ」としてとらえられているとの指摘を見て(つまり情報を受ける前と後では,新たな情報を取り入れることによって,自分の知識・考え方が変質していることになる),なるほどなあと思っていたところであったので,「万物は流転する」との表現を見て変に感心させられたものである。

『昭和史7つの謎』(保坂正康著,講談社文庫,2003年)
戦争前の思想の変遷,真珠湾攻撃,スパイ合戦,M資金等について著者の考えが記されたものである。この中で,感慨深かった点を2つ。
5・15事件は,政党政治を終演させたおぞましき軍部の独走事件として教科書的に習ったし,私自身そう信じて疑わなかった。しかし,この時に裁かれた人達については,35万7000通もの嘆願書が寄せられ,傍聴人,裁判官及び国民はかなり彼らに同情的であったとのことである。進行中の歴史の評価とふり返ってみる歴史の評価の違いを改めて認識させられた。もうひとつ,終戦間際には,軍が所持していた膨大な軍需物資が,(米軍にとられるよりは良いだろうとのことで)一握りの民間人にほぼ無償に近い供出が行われており,これが戦後に巨万の富をなした人達の元手になっていたことがあるとの指摘である。これについては,同じくこの頃に目にした

『異形の将軍(田中角栄の生涯)上・下』(津本陽著,幻冬舎,2003年)

にも同様の出来事が記載されており,今という時代を考える一つのきっかけともなる。

最近読んだ本について『仏像でわかる仏教入門』,『逆説の日本史第6巻「鎌倉仏教と元寇の謎」』,『話を聞かない男,地図が読めない女(男脳・女脳が「謎」を解く)』

昨日は,またまた日帰りで北陸出張。その行き帰りは読書&睡眠。本ついでということで,最近読んだ本について・・

『仏像でわかる仏教入門』ひろちさや著,株式会社講談社,2004年
仏像の名称は今までにも色々と聞いたことがあった。しかし,それが仏教でどういう位置づけであるかについては全く無知であった。先にも書いたように,永観堂の阿弥陀堂を拝観したが,阿弥陀というものについての漠然とした知識はあるものの,その位置づけは必ずしもわからない。そう考えると,東大寺大仏(盧舎那仏)大日如来,釈迦仏,阿弥陀如来,薬師如来,不動明王,弥勒菩薩,観音菩薩(観世音菩薩),地蔵菩薩,不動明王,四天王,帝釈天,鬼子母神,弁才天(弁財天),阿修羅,阿羅漢等仏教に関するものは多々あるが違いなんて全くわからなかった。
同書は,これらについてわかりやすく記載がなされている。
仏教と日本の文化は切っても切れない関係にある。文化を紐解くためにも仏教に関する一定の知識はあった方がよい。その入門書としてお奨めである。なお,仏教がなぜ「救いの」宗教となったかについては,

『逆説の日本史第6巻「鎌倉仏教と元寇の謎」』(井沢元彦著,小学館)

も結構考えさせる材料である。確かに,釈迦は,「悟り」の境地に達したがそれは輪廻からの個人の解放を意味するものであって,少なくとも今の死者の弔いとはちょいと違うものである。例え,仏教に対する信心をもたないものであったとしても,日本人としては,仏教の考え方に触れることは,くどいようだが大きな意味のあることだと思う。(なお,『逆説の日本史』シリーズは結構面白い。記載内容が全て正しいとは言えないだろうが,知的好奇心を刺激するものである)

『話を聞かない男,地図が読めない女(男脳・女脳が「謎」を解く)』アラン・ビーズ/バーバラ・ビーズ共著,主婦の友社,2002年文庫本版
科学的に解明されているところによると,男女の脳には一般的な差があり,それが男女の生まれながらの個性(男は一般的には空間能力が優れる,女性の方が言語能力等に優れる等)の違いにつながっているとのこと。
確かに,自分の子供達を見ているとその違いについては納得いく部分も多い。その違いを知っておくことは,両性の理解のためにも確かに必要と思われる(確かに・・・・・と思ってしまう箇所は多々あり)。

2003年12月 2日 (火)

最近接した本『なせば成る・・偏差値38からの挑戦』,『「クビ!」論。』,『0(rei)の法則 運をよびこむ女になる!』

『なせば成る・・偏差値38からの挑戦』<横浜市長中田宏著・2003年・講談社>
先日,新聞の記事で,横浜市が進める企業誘致施策のプレゼンテーションのために,現在の30歳代の横浜市市長が自らが赴いて来て精力的に説明を行った旨が報道されていた。このように身軽で果敢にチャレンジする若くバイタリティのある人材が危機的状況にある大阪市のトップにも望まれる旨が書かれていたと記憶している。このような縁で,本書を手にした。
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」とは上杉鷹山による。同人は,江戸時代に米沢藩藩主として民意を考えた藩政の改革を行った人物である。米国大統領ケネディが「最も尊敬した日本人」と評したことから俄に脚光を浴びることとなった人物である。
なせば成るというのは,著者の生き方そのままである。バイタリティにあふれた人間性にはすがすがしい。・・
 横浜の改革がより完成されたものへとなっていくことを切に望む。なお,大阪市の市長選の投票率は33%代だったとのこと。この期待のなさを裏切る成果をあげて欲しいものだ。
 
『「クビ!」論。』<梅森浩一著・2003年・朝日新聞社 >
外資系企業での人事責任者として実績を積んだ者による著述。「プロフェッショナル」として雇いそして「結果」を求める米国の企業及び労働者の労働者雇用に対する考え方(当然成果が上がれば評価し報酬を支払う)と日本の企業及び労働者のそれに対する観念の違いが浮き彫りにされている。プロとしてふさわしい結果が出せなかったら職を失う。一般的には,日本企業と米国企業との違いは概括的な表現で語られることが多いが,著者の経験を通して具体的に表現された世界は新鮮である。
 両国の雇用システム論についてはそれぞれ特徴があり且つ賛否がある。ただ,いずれにせよ,日本人も,職に対して今以上にプロ意識を有することが必要であり,それに対する評価が必要であることは疑いがない。

『0(rei)の法則 運をよびこむ女になる!』<菊川怜著,2003年,幻冬舎>
今をときめく女優によるものである。妻がもっていたものを拝借して読んだ。なんとも前向きでひたむきな生き方である。やはりただ者ではない(笑)。このように何でもチャレンジする気持ち。同じくしたいものだ。

2003年11月 9日 (日)

「ヴァイオリンと翔る」諏訪内晶子著,「パテントビジネスの現場」,「祇園の教訓」

ここのところ移動が多くまた待ち時間が多いことから本を読む時間があった。
特に興味深かったもの3つを

「パテントビジネスの現場」角田嘉宏著<株式会社ビジネス社発行>
知的財産の保護に政府も積極的に取り組むことが表明されている。
しかしながら,知的財産権の現場の世界がどのようになっているのかその実態はなかなかわからない。
本著は,弁理士である著者が,自らの経験に即して書かれたものであり,特許ビジネスのの世界が,極めてわかりやすい文章にて記されている。この分野に関心を持つ人にとっては,目を通すべき書物の一つであろう。すごい世界であるとともに確かに日本が目指す江べき道でもある。

「ヴァイオリンと翔る」諏訪内晶子著<日本放送出版協会>
著者は,チャイコフスキーコンクールを最年少で優勝の経歴を有する。ヴァイオリン奏者としての経験に基づエッセイである。
演奏者が,どのように楽譜に刻み込まれた音符を音に変えていくのか。ヴァイオリンという楽器の奏でる音。音楽マネージメントの世界。などなど,興味深いことが記されている。
奥の深い世界である(わたしにゃー想像を絶する)。
それに向かって翔けていく人のエネルギーや冷静さには驚嘆。
また,文章力もすばらしい。

「祇園の教訓」岩崎峰子著<株式会社幻冬舎>
著者は,京都の花柳界で活躍されていた方である。私は,京都に行く機会は結構あるが,京都という世界には殆ど縁がない。舞子や芸妓という存在があり話した機会等もあることはあるが,その実態は全く知らない。
本著は,そのような実態部分にも触れた著作である。日本文化の奥の深さを改めて認識させる(思えば日本は極めて長い連続性のある歴史を有しており文化の蓄積も並のものではない)。またなんちゅうたいへんな世界なんじゃということをも思い知らされる。

身近なところにも自分の想像を絶する世界が多々ある。
今後どれだけの世界に接し,どれだけの世界を理解することが出来るのだろうか・・・

2003年10月20日 (月)

整理術本「書斎がいらないマジック整理術」

ボナ植木著、講談社+α新書「書斎がいらないマジック整理術」

書店で目について何気なしに購入。整理術の本は,今までにも何冊か読んだ経験がある。
しかし,私の机上と部屋は依然として雑然。
著者は,マジシャンのナポレオンズの1人とのこと(悪いが,予め判っていたら手品本かと思い購入しなかったかも)。
・小さいメモ帳の利用法(私も以前利用していたが,ここ数年は利用をやめていた,いざというときにペンが無くて利用できないということもあったがその解決法があり,今回思わず実践)
・日記のつけかた(検索を主目的とするもの)
等結構使えそうな事柄が記せられていた。
ご参考までに。

2003年7月13日 (日)

手直し

久々に訪問者があったようなので
BBSを夏向けに手直し。

しかし,このBBSは機能的にあまり出来がいいとは言えない・・・他のところのを使いたいが・・・

全く知らないところを使うこともためらわれる(来訪者の個人情報の保護がどの程度なされるものかわからない)。
やむなく,大手プロバイダーならちょいとはましかと思ってこれを使っているが・・・
なんとか改善して欲しいものだ・・(苦笑)

写真は,かなり前に行った「黒四ダム」
そのときはその勇壮さと優美さに圧倒されただけであったが,最近,本(NHKプロジェクトX[ジュニア版]4巻)にて,このダムの建設のことを知った。
7年をかけて昭和38年に完成したということだが,壮絶な工事だったようだ。考えてみれば(俺の物心がついた頃でさえたいした自動車等は未だなかったが,それ以前の工事),線路や道路もない豪雪地帯のあんな山奥(ここ,標高1350m)に重機等の機材や資材を持ち込むことだけ考えただけでも想像を絶する。率直に,先人の偉業に敬意を表し,そして多くの人々のために亡くなられた方々には改めてご冥福をお祈りしたい。

2003年6月15日 (日)

最近バタバタと本を読む(その2)「">「プロジェクトX 挑戦者たち」ジュニア版」,「SONYの旋律」私の履歴書」,「ヤクザに学ぶ圧倒的交渉術」「ヤクザに学ぶ絶対的指導力」,「銀座ママが教える「できる男」「できない男」の見分け方」,新版「匠の時代」

「プロジェクトX 挑戦者たち」ジュニア版(1?2巻)日本放送協会
言わずとして知れたNHKの番組を本にしたものだが,妻が子供向けに買ってあったものをチョイと拝借。ジュニア版といっても大人が読んでも十分なほどの濃い内容である。改めて,人間捨てたものではないと再認識させられ,泣かされる本である。
続編が購入されている模様なのでまた拝借する予定。

「SONYの旋律」私の履歴書」<大賀典雄>日本経済新聞社
言わずと知れたソニーの社長・会長を勤め上げた大賀氏の自伝である。同氏は,東京芸術大学卒の声楽家(バリトン)であり,音楽に興味のある私としては,どのような方がソニーのような名だたる企業のトップとなったのかについて興味があり,思わず手にとってしまった一冊である。納得の一冊である。しかし,しかるべき人は,どうしてこうもちがうものなのか・・・。

「ヤクザに学ぶ圧倒的交渉術」「ヤクザに学ぶ絶対的指導力」<山本重樹>幻冬舎アウトロー文庫
なんとなく面白そうなので買ってみたが,ふ?んと思うだけで何らためになることは書いていない。大体,部外者が書いた本でなるほどなあと思わせる本にお目にかかることはまず無い。

銀座ママが教える「できる男」「できない男」の見分け方<ますいさくら>PHP文庫
文庫本になっていたので買っては見た。まあそうですかという程度で。いずれにせよ,私は「出来る男でない」ことが再度わかりました(笑)

進行形・・・・
新版「匠の時代」第1?2巻<内橋克人>講談社文庫
かつて発刊されていた「匠の時代」の再編集版。かつて,ちょいとかじった本であるが,再度チャレンジ。こういう技術開発に関する本がすきでねぇ・・・・

本を色々買ってくるのはよいが,置き場がないのが悩みのため。
そして,そろそろ本業にも復帰せねば。
重たい書面作成が待っている・・・・

2003年6月14日 (土)

最近バタバタと本を読む(沈黙のファイル」瀬島龍三とは何だったのか,">「殺人者はそこにいある」,「殺ったのはおまえだ」,「壬申の乱の謎」(古代史最大の争乱の真相),

常々本を読むというタイプでは無いんだが,ある時まとめて読むことがある。
ここ2週間ばかり,送迎等で待ち時間があり本屋をぶらぶらして時間を過ごすことが多く久々に本を目がいっている(寝不足になっていかんが・・・・・)。

「沈黙のファイル」瀬島龍三とは何だったのか<共同通信社社会部編>新潮文庫
・・・瀬島氏は伊藤忠商事会長や第2次臨時行政調査会委員等を務めた人物であるが戦時中参謀本部作戦課に所属しいわゆる当時のエリートの道を歩んでいたものであるが,その経歴を追いながら戦時及び戦後を語る冊子である。俺自身は,手段としての戦争はあり得ると思う者の1人ではあるが,戦争の狂気は改めて実感する者であり,今の平和のありがたさを更に認識させる。なかなかの本である。

「殺人者はそこにいある」及び「殺ったのはおまえだ」<新潮45編集部編>新潮文庫
これらは社会的にも凄惨であった事件を追った複数人によるルポタージュである。特異な犯罪に至る人達の行動を考えるに,平準と思われる人達との差異がどの程度あるのか考えさせられるものである。酷いことを考え,実行に起こす奴らがおるもんだ。

「壬申の乱の謎」(古代史最大の争乱の真相)<関裕二>PHP文庫
乙巳の変(世に言う大化改新)前後から壬申の乱後までの社会的状況等について書かれたものである。学生時代,大化改新といえば,蘇我氏の専横に対して皇権の回復をはかる行動と単に覚えさせられていたものだが,この頃に関する色々な書物をよむにつれてそれほど単純なものではなかったことは実に興味深いことである。特に,色々な書物に指摘されているように,「日本書紀」はどうも藤原氏政権の正当性を裏付けるために作られたものであること(このことを指摘する本は多く,私としても多分そうなんだろうと思っている),律令制等蘇我氏がどちらかというと当時としては斬新な考え方を持っていたと考えられること,日本を取り巻く大陸の状況(特に朝鮮半島情勢)等興味は尽きない。


注)
いつもながらの酔い状態にて初稿をあげていたが,さすがに意味不明の文章であったため手を加えた。

    

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