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2005年11月 7日 (月)

無学(仏教・キリスト教)

「無学」とは,仏教では元来もう学ぶことがなくなった状態を指すとのこと。

 仏教に引き続きはまっている。
 「仏像はここを見る−鑑賞なるほど基礎知識」(瓜生中著・祥伝社新書)を読んだ。仏教及び仏像の考え方,見方等について結構勉強になった。先般読んだ「仏教でわかる仏教入門」(ひろひさや著・講談社α新書)等とも併せ考えると,皮相的な理解でしかないだろうが,仏教が考える世界観等について少しばかり理解ができ得たような感がある。

さて,問い。
生まれたばかりの釈迦は尊いか?

【原始仏教(小乗仏教[上座部仏教])】
→悟りの道→輪廻から解放された存在(仏)になることが目的
→釈迦は悟りを開いたが故に尊い→それ以前の存在は尊いものではない→釈迦の幼少時代を特に祝うものではない
【大乗仏教(釈迦入滅後約500年後頃に生じた考え方)】
→仏=宇宙→釈迦は仏の化身として衆生の教化のために派遣されてきた存在(多くの人を救うためにやってきた)。なおこのような存在は「釈迦」だけでなく多数存在する。釈迦如来だけでなく,阿弥陀如来,薬師如来等も同じような存在。
→釈迦は宇宙の真理を伝えるために派遣されてきた存在→故に生まれながらにして尊い存在→釈迦の生誕を祝う(4月8日の花祭り)

 仏教とは言えども,かなり考え方が異なるようだ。
 私の仏教の理解とすれば,釈迦が修行して悟りを開いたその結果仏(輪廻から解き放たれた存在)となった,とはなんとなくわかっていたがその程度。そもそも釈迦が宇宙仏の分身的な存在であるとは考えもしなかった。更に,釈迦の生誕を祝うのも,結果として偉人になったから遡って祝うのだろうとぐらいにしか考えていなかったのだが・・・・
 阿弥陀仏,薬師如来,救世観音,弥勒菩薩,不動明王,梵天等が仏教上どういう位置づけで,何を意味するのかについては全く考えたことすらなかった。
 この度,上記のような考えに接して,大乗仏教というものには,なんとなくキリスト教の考えに似た点を感じてしまった(もっとも,異なる点は極めて多いのだが)。
 救済のための宗教とは似たような物になる宿命なのか。
 但し,私の理解がどの程度まで正しいのかは全く保証の限りではないが(笑)
 「無学」にはほど遠く,学ぶべきことだらけの現状。

 キリスト教というと,昨日は,阪神タイガースのパレードの後を観に行ったのだが(笑),そこには,人が集まる個所によく見かけるキリスト教の勧誘車が2台ほど停められていた。
 拡声器から流されてくる勧誘の声は,正月等に神社近くで「悔い改めよ」と聞こえてくるテープと同じ抑揚のもの。同一の派なのだろうか?
 いずれの車内においても暇そうな人が姿勢も悪い状態で本を読んでいたり等とても救われている人達に見えなかった。そのように見えたのは,私が純粋で無いからだけとは思えず。
 テープはいう,「信じる者は必ず救われる。信じない者は決して救われない。」
 よく考えれば,慈悲の心があるはずの神・仏は了見が狭い!
 神・仏による救済の現実及び上記の一派の実態は私にはわからない。しかし,よくわからん親父が乗っている車からテープの音声を流すような一派に救いの力があるとは少なくとも思えない。無表情な声の向こうに救いの道は無いことは確かだと思われる。

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